自戒の念が込められている言葉

 誰でも、著名人や偉人と呼ばれる人達の言葉に感銘を受けたことがあると思います。その言葉に感銘を受けたからといって、即、自らの人生に適用できるかどうかは、また別の話ですが(笑)、とりあえずは非常に、何と言いますか、そういった人たちの言葉に触れると、良い心持になって、

「なにか、得をしたな」

なんていうような気持ちになるものです。名著を読む楽しさというのも同様に、読後実際に、自らの人生に効果を及ぼすかどうかに関わらず、読むことそれ自体が非常に心持の良いものになるというところにあるのかもしれません。

 また、非常に尊敬している人物の名言などになってきますと、ことにそれを全部取り入れよう、真似しようと努めてみたり・・・、なんてこともあるのではないでしょうか。勿論、自らが、

「この人だ!」

と思った人に影響を受けて、その人に寄せていこうとすることそれ自体は、全く悪いことではありません。ただ、ひとつ気をつけなければならないことがあると思うのです。

 というのも、人々が放つ名言には、ただただ、後に続く人の為の道しるべとして機能するものも勿論あるんですが、その一方で、名言を放った本人が、自らへの戒めとして発した言葉、いわゆる、

「自戒の念」

として発された言葉があり、そういう言葉は、たとい名言であっても、額面通りには受け取ってはならないだろう、ということを思っているからなのです。

 何故かというに、例えば、

「考えすぎるな!」

ということを訴えていた偉人がいたとして、その偉人が、確かにその通り、考えすぎていなかったのであれば、その言葉を額面通りに受け取っても何ら問題はないんですが、もしその偉人が、実は物凄く考える人であった場合、その偉人は、自らの行為が過ぎたものであったことを反省し、今後、黙っていれば私はまた考えすぎるであろうという予測の下に、あえて自戒の言葉を述べている訳ですから、それを我々が、

「そうか、考えすぎなくて良いんだ」

と納得して、悦に入ってしまうというのは、早合点が過ぎるというものです。この偉人は、考えることに考えることを重ねて、その結果として、考えすぎてもいけないという答に辿り着いたのだ、という流れをしっかりと見据えたうえで、

「考えすぎるな!」

という言葉に接しなければなりません。

 つまり、著名人や偉人の名言に触れるときは、実際にその人がどのような人物であったのかということも含めた上で、言葉の解釈を行う必要があるということです。