幸せな境地を静かに受け容れることは難しい。そして、それは何にも増して、一番難しいことでもある。
不幸な境地を静かに受け容れることは、そこまで難しくはない。たしかに、その状況に置かれたときの心持自体は、あまり宜しいものではないかもしれないが、受け容れることそれ自体は、存外に容易いものである。
何故なら、不幸な境地にあるときは、悲劇のヒロイン(男だからヒーローか)を気取って自己陶酔に陥ることが出来るし、何をしたわけではなくとも、何となくその境地にいるというだけで、自分が頑張っているような、踏ん張っているような感覚を得ることが出来るからだ。要するに、逃げ道を用意しやすい。
反対に、幸せな境地にいるときというのは、逃げ道がない。そもそも、課せられているものに苦痛が含まれていないので、逃げ道を用意しようがないのだ。だから、苦痛もなく、逃げ道がない以上、その境地をそのままに受け容れるという器量が求められる。
が、冒頭でも述べたように、静かに受け容れることは一番難しいので、大抵の場合は、それ(幸せな境地)を払いのけたり、逆に浮かれて調子に乗り過ぎたりしてしまう。
幸せの境地というものの重み、逃げ道のなさに耐えきれず、自ら不幸を選択したり、それでなければ、ハイになってしまって、冷静にその境地を眺め、受け止めるという営みを放棄する方向へ向かってしまう。
瞬間々々に訪れる幸せに理由などない。ジタバタせず、そのまま静かに受け止めたいものだ。