私は鬱病ではありませんが、世の中には鬱病で苦しんでいる人がたくさんいますね。年に自殺者が3万人近く出ている、なんていうのも鬱病との関わりあいが大きいかもしれません。
もちろん、病気の症状それ自体も、しんどさの大きな要因であることは間違いないんだろうと思いますが、何しろ「精神の病」ということも相まって、世の中の人に理解されづらいということが大変な苦しみの元となっているのではないかと思うのです。
例えば、
「うつになるやつに問題がある。」
という見方など、全く病気であるということが理解されていない発言はよく見受けられますね。
これと同じようなものに、
「うつは甘えである。」
というのもあります。
まあ、外傷のような目に見えるものではありませんから、鬱の状態を、鬱ではない人が頭に思い浮かべるというのは至難の業であることは確かです。 端から見たら、ただ「やる気がない悲観主義者」かのようにうつるのでしょう。そう思って直接「甘えだ」と告げるのはどうかと思いますが、心の中で思ってしまう分には仕方のないことかもしれません。
ただ、「鬱病を端から見てる人間の一員」として私が思うことは、
「うつはむしろ、甘え下手」
であるということです。 つまり、必要以上に何でも自分でやらなければならないと思いこんでいたり、何でも完璧にしようと考えていたり、人に相談すると、その人に迷惑をかけると考えていたりする人達に鬱病の症状が見られることが多いとメディアなどを見ていて感じたのです。
その他の人々がスムーズに行っている「ここは自分でやる、ここからは人に頼る」という境界線の引き方が分からず、なおかつ真面目であるために、全て自分でやろうとしてしまい、最終的には処理しきれずに精神を病んでしまっているのではないか。だから、甘えているのではなくて、甘え方が分からずに心が壊れたのが鬱病ではないかと私は思っています。
私と同じような考えを持った人たちの中で、鬱病の人達に
「もっと甘えて良いんだよ、頼って良いんだよ」
というような言い方をする人がいますが、それでは意味がないと思います。何しろ「甘え方が分からずに」苦しんでいるのでしょうから。
ですから、大変な作業かもしれませんが、サポートする気持ちのある人は、「これは自分でやる、ここからは頼っても良い」という境界線を、場面に応じて事細かに教える方が鬱病の人にとってよほど為になるのではないかと思います。 あとは、「頼られることが人間の喜びのうちの一つでもある」ということを「論理」と「体験としてわかってもらう」ということによって、補うことが必要だと思います。頼ることに対する後ろめたさみたいなものを払拭するためにも。