<2553>「可能な命の軽やかさ」

 あれ、

 あまりに似ているものではないか、、

 どこかからおち、

 身体は滑り、、

 私は私の声をきき、、

 そのままつらなるのを、

 ただ見ていたのではないか、、

 ひとつの身体のありか、

 私はこのなかを探る、、

 ヒひとつ出ていない、

 この身体を探る、、

 あたしはいくつもの様子で、、

 このなかを見守る、、

 わたしがわかれていく、、

 その先を見守る、、

 

 わたしはからだにつながり、、

 このてを見る、、

 見たら見るだけ、

 そっくり溶けて、、

 今はただ空になったところ、、

 人間が存在であったところへ、、

 まっすぐに出ていく、、

 からだはたくらんでいく、、

 あなたにはその方法が見える、、

 なにとしらない、

 その方法が、、

 あたしは等量を見、、

 彼方から揺れ来たると、、

 その勢いのなかへ潜り込む、

 たれとなくその合図に、

 身体で応答していく、、

 その静かな流れを見ていました、、

 あたしはやけにひろがる、、

 それぞれの物事を見ていました、

 

 あたしにしたって命は軽い、

 命は軽やか、、

 きこえている音もまた、

 内部ですぐ生まれ、、

 すぐにひそんでしまう、、

 それぞれの確認のなかに、

 私の手はありますと、、

 順にこたえていくのを、、

 静かに見つめていることも、、

 私にはありえた、、

 なに、

 しらない世界に、、

 ものがまぎれて、

 うまれ続けてしまうことも、

 ここではありえた、、

 あなたの印などはここに、、

 時間を届けて、、

 しずかに浮く、

 浮いたままのものごと、、

 あたしは手を見、かたまる・・・

<2552>「からだたち眠る、立つ」

 はなれた姿の辺り、、

 あなたが巻くようで、

 順に、あたしなど見えてくるあたり、、

 えい、

 しずかな声のなかにきました、、

 あたしなどは、

 その勢いで来たのでした、、

 ものもつ、

 もの、からだもつ、、

 なかの印、、

 なかに複数湧いたもの、、

 ものが、ひとつの姿をとれるのも、、

 少し、わかりはじめた、、

 あたしはからだになりはじめた、、

 先を、

 どうなということもなく、見つめている、、

 

 わたしはさけて、、

 しずかに水を見る、、

 水をまた待つ、

 水をまた得る、、

 あなたがそのさなか、、

 あなたがそのもののなかで、

 身体をはじめる、、

 身体はなぜか複数の日に、、

 からだを使う、、

 あなたは移動する、、

 移動してはきこえる、、

 からだかたちが見える、

 ものふくらむ、、

 あたしは姿形などになる、

 流れる、、

 ものをつづける、、

 形連なる、、

 あなたはこのヒのなかに寝た、、

 もののヒのなかに寝た、、

 複数のながれのなかで寝た、

 身体を起こしていた、、

 

 ふたつきこう、、

 からだがぼんぼんとなる、、

 そのふたつを、、

 あたしは揺らしていこう、、

 しずかな道の中、、

 からだをひらき、

 ひたいたらあなたの声が出る、、

 あなたの向きが出る、

 まったく煙になり、

 一量へと溶けてしまう、、

 あなたのその時代が出る、、

 ほうる、

 ほこりをたてる、、

 からだがむく、、

 うまれたばかりのはたらき、、

 からだがねむる、、

 つぎつぎにくるかたち・・・

<2551>「悪魔の運転手~アジアンドキュメンタリーズ」

 

asiandocs.co.jp

 

 パレスチナにも当然まっとうな仕事はある。

 しかし、それでは家族が生活できない。

 そういった経緯から、悪魔の運転手と名指される、不法就労者をイスラエルへ運ぶ仕事を選ぶ人々を追っている。

 

 しかしこの違法な仕事を選んでも、大した額が稼げるわけではない。

 

 この仕事を選ぶ人々を見つめ続けても、不思議と悪人という意識が働いていかない。

 必然に運ばれて、当たり前のようにこの仕事に収まっている人々を、ただ私は見ている。

 まっとうなことをする。しかし、そのまっとうなこととやらをすると、私たちは生き延びることが出来るのか、と問われれば、静かにここで黙っているしかないような、圧倒的な必然性に導かれて。

 

 この仕事をする人々も、周りの家族も、今すぐにでも転がり落ちてしまいそうだ。

 平穏はない。

 安定した暮らしもない。

 彼らの精神を支えているのは、神様だ。

 

 神が、生きることの中心に、深く、そして自然に刻まれている。

 そして、またその同じ、信仰という形の相違において、人々を隣の国へと運ぶことは違法にもなる。その苛烈さは、相手のものを全て破壊しようとするところまで行く。

 

 この映像世界の外部にいる私は、安易に、何かを捨てたらいいとか、そんなことで相手を破壊するところまで揉めているのはおかしいと思わないか、などと言うことができない。

 

 神との関係は、この人々にとってまさに全てである。

 それなしの生涯などというものが、おそらく全く想定できないほどには。

 

 諦めとも、前向きとも取れるトーンで、私はこの運命を受け入れる、耐える、という人がいる。

 出来ることは何でもやり、その場所で、苦い汗をかき、へとへとになって、なおも生き抜いていくしかない。

 それ以外の人生などというものはない、というように。

<2550>「時刻を知る緊張体としてありました」

 あなたヒは、

 そこへかぶせ、かぶせて、、

 みてきたもの、

 またしらないところへ出て、、

 あたしはきこえるものの、

 その姿のなかを見た、、

 はてからあなたは出て、、

 いつも、

 そこを見つめては、

 身体のなかほどを探る、、

 どこへつらなるの、

 どこへ、

 この呼吸などが挟まるの、、

 あたしは軽い、、

 もののなかも軽い、

 見えているものもたしかに軽い、、

 

 さぐりあてている、

 手になにか違い、、

 からだのなかで跳ねている、、

 もの、

 たしかに違い、、

 今、自にこの揺れが来る、、

 ただ見つめている、、

 たしかにあなたはこの肌の中、

 時刻を知りあわせて、、

 ここへ流れるなか、、

 身体を結ぶ、

 それぞれの速度で来るものを確かめて、

 ここに身体を結ぶ、、

 ひとつの緊張体としてありました、、

 なにやその方面に、

 いくらでも含まれうる、、

 ことのひらきとしてありました、、

 あたしは肌する、

 この、

 確かな地表の場所で、

 たしか肌する、、

 おう、

 したのおうい、、

 からだのおうい、、

 声な、なにな、しずかに集めてる、

 わたしのはだかのなか、、

 ひとつ声がしている、、

 

 だれをうしろ、、

 だれをじこくだからの、うしろ、、

 ものに挟まる場所、

 あたしは見ていると、、

 しずかに伝えるもの、

 見ていて、

 流れてくるように思えるもの、

 ひとつ、ひとつ、、 

 あたしは集めて、

 この方法のなかへと挟まる、、

 あなたはふとその声の、液の辺りをしる・・・

<2549>「からだはてのなか」

 することのなか、、

 はなれたなか、

 ものにめぐるのの、そのなかに、

 ひとつ手を置き、、

 あたしはつながる、

 声がする、、

 どこから声のするもの、、

 しずかに見て、

 しずかにその隙間へと来て、

 あたしは知りうる、、

 からだてのなか、

 さすがにひらいたまま、

 なかの呼吸、

 あなたのなかの呼吸、

 しずかに見つめている、、

 

 あたしはどこに声を出したの、、

 ねえ、

 ジニチを、追いかけている、、

 からだはところを訊く、、

 どこ、

 まずは はなたれて、、

 あたしはいくらも呉れる、、

 おうい、どこ、、

 どこへ見、、

 どこへ身体を使う、、

 どこへ身体をきかす、、

 あれな、あなたのはたな、、

 うん、うん、 

 そこに来るのだという、、

 あなたのはたな、、

 ものかおりする、

 ものふくむのだ、、

 どこで声する、

 あなたが束になって来、

 みちをしらせる、、

 しらせたはたの、

 あなたの、

 ちょうど辺りか、、

 うん含む含む、、

 ものからだを続け、、

 あたしはここに含む、、

 な、

 なにというマのものでもない、

 な、、

 

 しらせるのだと、、

 だからこのマ、、

 しずかに届くのだと、、

 私はきき、

 困惑する、、

 ものにただ畳まれているのに、、

 気がいき、、

 気も畳み込まれ、、

 あたしはスく、、

 からだのなかをス、かせる・・・

<2548>「ものの自、水が生まれる」

 ひとつの渦のなかへ破れた、

 ものなどあった、

 気など、あった、、

 次々に寄せる、

 次々に見える、、

 あなたはあった、

 どこから来る、

 どこから装う、、

 このもの自、

 わたしのハ、、

 わたしの只中から、、

 ひとつ見え、ふたつ見え、、

 この領域にはじまる人々、

 からだ増え、

 はてへ増え、、

 ものをたくらむものたち、、

 

 ふたつのかおのはざま、、

 からだのはざま、

 ものがよくとかれ、、

 あなたのはたに見えている、、

 かたり、かたり、、

 私は映る、、

 ものかたる、、

 ものふれこむ、

 ものふえている、、

 あらわれるあらわれる、、

 なにだか、

 ひのなかに多量に浮かぶものごと、、

 からだはそのなかの事、

 ものをたくらむ、、

 あとでいきるところ、、

 あとでもの、くる、いきるところ、、

 ものがただいきるところ、、

 あなたの手の、

 皮膚の、

 はたの、、

 手のものごとに、くる、、

 そのてから、、

 からだは全部生まれてくる、、

 あたしはさわやぐ、、

 このもののなかにつながり、

 あらわれる、、

 ただ身体のなか、、

 

 水が来る、

 水が生まれる、、

 ああ、ア、アなた、

 水が生まれる場所へ来ました、、

 特有の匂い、

 身体を従えて、、

 ここまで来ているのでした、、

 覗き込む、、

 あなたの方途のなか、手の、

 手の熱のなか、、

 からだで遊ぶなか、ひらく・・・

<2547>「警察小説~乾き切った世界」

 沢山読んでいる訳ではないので、好みの中心ではないのかもしれないが、私は警察がメインの小説が好きだ。『マークスの山』しかり『凍える牙』しかり。

 

 事件の経過を追いかけていくハラハラ感が好きなのは勿論のこと、こういう小説に対して大きな興味を覚えるのは、その世界が、徹底的に乾いた、それでいて執念の渦巻く世界であるからだ。

 

 本物の警察の実情と同じなのかは分からないが、物語のなかの警察、特に事件の担当をするような部署の警察は、ひとたび事件が起きれば、すぐさま招集され、その後は、事件が解決するまでプライベートらしいプライベートの時間をほとんど持てない。

 毎日決まった時間に寝る訳にも行かず、時には車の中で、聞き込みにまわる施設の中で、本部の仮眠室で、寝られるときに寝ておくようなリズムを強いられる。

 

 毎日の生活が基盤として機能せず、常に悪人を追いかけることが人生の基盤になっているので、物語に登場してくる警察の人々は、徹底的に乾いている。

 身体のなかから、砂の音が直接聞こえてきそうなほどだ。

 

 その乾きは、生活の必然的な荒れ、悪人との付き合いからだけではなく、情報収集のために何度も無駄足を踏まされる、という習慣からも来ている。

 今やっているこの仕事が9割9分は無駄になる、それを承知したうえで歩いてまわる。その繰り返しのなかで、警察の人々は自らの水を丁寧に、丁寧に落としていく。

 いちいち水を保ったまま、一喜一憂しているようではこの作業は務まらないからだ。

 

 この砂の匂いのする人々は、しかしこうした習慣の繰り返しのなかで、日々何にもならない情報を集め回っているうち、そこで乾いて、のち次第に、静かに熱を持ち始める。

 

 追いかけ始めたものは何が何でも捕まえる、という執念の熱を、繰り返しの無駄足のなかで、徐々に育て、強化していく。

 

 捕らえて事件が解決すれば、その一瞬はホッと息をつけるかもしれない。

 しかし新たな事件が勃発すれば、また同じことの繰り返し。

 生活は捨て置かれ、犯人を捕らえるために、あらゆる場所へ、無駄足を踏まされにいく。

 

 そしてまた自身の熱と乾きを深めていく。

 

 いつも家にいないので家族には愛想をつかされ、あるいは結婚生活が正常に機能しないので離婚を言い渡され。

 そういう、徹底的な破壊のなかで、これが何か尋常な状態ではないということを、十分に承知したうえで、なおも職務を果たしに行く。

 

 ひょっとしたら犯人と同じか、それ以上に荒廃した世界のなかで、ただあくまでも自身の仕事をひとつひとつこなしていく。

 

 そういう、乾き切った仕事を遂行する人々に、どうしようもなく惹かれていて、その人たちに出会いたくなるから、私は警察小説を読む。