<639>「一人の男は揺れる<2>」

 つまり、区切り方の問題だ。あの男は存在する。ちょうど、家の場所、というか区切りを、2メートルほど横にずらしてしまうみたいな。あなたが思っていたそれは、家ではありませんよ、などと言ってやる。そうして壁の外になる、壁の外にいる。あはは、見えなくなった。生きているのだか、死んでいるのだか、そんなことはもはや、どうでもいいのだ。あの男は今や、外にいる。

(・・・し遅れましたわたくし・・・)

(・・・にあるというのだからどうも・・・)

(・・・はっ。ぶはっはっは・・・あたたこりゃなんとも・・・)

染み、うしうしと、壁に何かが染み入る。あなたねえこの染みなど、壁の色がいくらか違う気がしやしませんか。いやなことを言うねえ気のせいだよ、などと。

(・・・ているからいけないなんてまあそりゃあなた・・・)

(・・・と思ったんですか、区切りなどというものがね)

区切りなどというものが、問題になると、思ったのですかね、ぶはっ、ぶはっ、ぶはっ、ぶはっはっはっは!

(なるほど。見えている、その範囲が全てだったり、外にいると決めてしまえば、もうものの数から溢れて、問題にしなくてよくなると、思ったりして、面白い方々ですね、ぶはっ。呼吸だということが、すなわち空っぽであって、ひとつの小さな染みであったりすることが、あなた方には分からなかったようですね、ぶはっ。じゃあお茶でも一杯、頂けますかね?)

けわしい、けわしい流れだ。

<638>「一人の男は揺れる」

 「あらやだ」

歩く、歩くと夫人の前に、これは、なにか? その男は不思議な立ち姿で、微妙に揺らいでいる。

「はて、この人は生きているのかしら?」

当然とは言えない、疑問ようのもの。しかし、その言葉を発させる、なにか。

(わたくしは、もはや生きているのに、死んでいるものです)

(いや申し遅れました。わたくしは、死んでいるのに生きているものです)

流れ、や、このタイミング、などなど諸々のことが分からず、夫人には夫人なりの微笑みと、困惑。まだ、夜の白々明け。意味が、

「意味が分かりませんわ」

ぶはっ、ぶう、ぶはっはっは。おそらくそれなりに、大きな怒りと構わぬ笑い。

(いやいや、いやはや、おみそれいたしました。あなたが直接に、ということではなく、次々設けられた架空の柵によって守られる世界。こぼれざるを得ない、と簡単に考えてみても、やはり残る私・・・。それから、意味などという冗談。これは、これは。ぶう、ぶはっ、ぶはっはっは!)

 笑われて、右を見左を見、確かにこの男は、夫人以外にも見えている、ようだどうやら、そのことが不安と、ぐらつきになる。なんだろうこいつあ、よく見えるぞ。

(わたくしは、息を、吐いて、吸っているのでございますよほらこのように。皆さんも、フウ―、フウ―なんてひとつどうぞ、ぶはっ)

 この世の中で、一番、シンプルな男。その男は揺れていた。夫人は、無理もない、そのこんぐらがりを、更に、更にと進まされ、ついに、ここいらでひとつを、決意する。

「あなた、一度家にいらしてくれないこと?」

はは、何故でしょうね。そう言うと、なにかが回転して、それは、これまでより、揺する、揺する。夫人は、おのおのかかとがやや、ずしと重くなるのを感じていて、

「あらやだ、まあ、どうしましょう」

などと。不思議に陽が差してこない。厄介な時間だと思った。

<637>「置かれた時間」

 遠のく、当然、遠くで、ひとと、あなたに、訪ねる、歌と、また・・・。このところこと、ひとりごとろ、ごろごろ。重ねて語りながら私、頭がなし、なんとも、なくて、これから、良かったなあと言うて、みてみて。大人が、言葉が、なんだってんだって今度も、冒頭そう、うそ、やましくて、やましくて。暑がりじゃないけど子ども、いち、にの、さんって。茹で上がれ(油田?)、ゆで、茹で上がれよひとの、言葉。なんとも、何通りもの、そのまたその、ひとところ分かち合い。頭でっ、かちかちかち、かち、かち上げて、かつぎあ、担ぎ上げられて、あなたと、頭の、いやあなたと、私の、ひきつり合い、気が済むまで、ああ済んだ? ひそかに、どど、堂々と、音となりと変わりなし。角から、角から、何かと、言うま、ぐれでもないこと、どこに、置いたら、いいのかこの時間・・・。

<636>「何が急激な雨を含む」

 一度、一応、向き直る人。どちらをも向かない話、極端な話、充分なかかりあいのなかでまた混ぜた。そこだけでもよく見ている人と隣(そうだ、私はよく見ていた)。うきうきしながら、下がっていって見るともなし、見る。およそ当然の影、何やら、簡単な挨拶のち、

「私には分かりません」

などの意味で。

 品とやら、どうであれ、品というものやらを失って、お前でもいーかい、こちらでもいーかい。ゆきがたいことどもの間をゆくと、言葉では何故か、

「うかがいだろうと慎重に食んで戸を揺らす」

となる。なかなかに、良い構造と、いな台詞。

 うそだい、うそだい。何が。例えば急激な雨を踏んだって? それが、あまりにも泣いて、ひとつにまとめるのに役立った。そういう経験が、時折小さなこの部屋を私ごと襲って、予めいくつものことが分からないようにしておく。なるほど順番に、涙を見せたが順番に、そのままを示すのではなかった。

 音がしたので代わりに覗いてみると、あらまあ、普段通りのお話と、相手方の色々。とりあえずに取り出して、みてみたらおい、今度という今度は乱さない。

<635>「低方の言葉よ」

 低い低い言葉よりの、そのまさか。お試しあれ、嗅覚と、緊張、より緊張感。遅れて、出てきて、目立たない。そのかわりといっては何かが、はたき上げ、窓のよこちょの、お手本としたいぐらいだなこの空気。

 あたかもここが、ゆききった場所であるかのように、落着いて、紛らせて、噂にたがわぬ遊びをする。するとどうだ、ますます顔たちが和らいでいくではないか。これは、たったひとり、私だけの満足であるばかりか、かつて誰にもかがせたことのない、薄緑色の匂いになって、打ち解けた雰囲気に、微妙に触れていく。

 片側に集まるのだな惑いは。ひとつひとつ、喜びと、共に集い、大人でなけりゃ転がって転がって解けまいて。のこのこ現れろよ、今後もう、音がしただけで笑う、そうと決めた、その後でなきゃ、あなたまた彼方から関わり合いたいらしい片方の、そこの微笑みだけになるって、約束するの。

<634>「どうぞとどうぞと」

 むうう・・・。むうむう、ふー、それと、お互いで、よいよい、などと、からみさわぎ、わざとらしい。お手のもの、まだ、技の只中、あちゃちゃこちゃ、どうどう、不用心とこ、のその兄弟。得どうぞ得どうぞ、えて、えてえて、えてしてどうぞ。かき集めたからなさなさなさ、おっとと。私どうしよう。このあいだと、挟まるよ、もご、もご、もご、この度と、これから、私はふたりの歌。

 ぜぜぜぜ、ひも、ぜぜひも、ぜひもなし。もっとこう、こんもりと、とろっとろ。あたためさせなるよ、こだわった、今日そうだ、堂々と妄想逃走用の出口通そうよ。

 とーぜん、当然。と、な、り、見て、まどろこ、しいよ。うわあそんな、一切ここでプル、プル、プル、プル、プル・・・。・・・プル、プル、プル。おとな、りそういうかがやき。まさかまさかまどわしされているよそばといつもなかで見てるうその言葉いまも夢に出ん。

<633>「歯」

 ガタガタガタガタと、鳴るよ歯と。まあ立たねえ、俺あこの歯、どこに立てているんだいえ。打ち合わす音じゃあねえかよカチ、カチ、カチカチ。歯が、歯が並ぶよ。並ばねえと、並ばねえと噛まないよ。噛めないのじゃなく噛まないよ。どうりで噛み合わねえと思った俺あ、しっかりと並ばねえから立たないのよ。立つといいじゃねえか、おいそれは、立っているって言うんじゃねえの? いやだな、これは生えてんだよ。生まれたのじゃなく生えてんの。次々に立たなくなってくるかと思うとまた生えてんの。いやだねこりゃ。モサッと出てるものがガブッと噛むじゃない、そういうとこあるよ。白旗だろ? 白旗じゃないの、あんなに数並べてさ。

「あー歯ですけど、あー歯ですけど、立ちませんよ」

ってそう言うのさ。