<804>「余計者の時間」

 関係性のなかに名前は膨らむ。立ちどころに名前は解消する。湧く目的は湧く、私にも分からない。大仰に浸っていたいと思わなかった、ということがひとつにある。私は小さいもの、を愛していた訳でもないのだが、大仰に浸ることを順に考えていった訳ではない。むしろ、曖昧な、

  明確な構えの失せる地点へ

立ちたいと思っていた。全ての景色が、ハッキリしていたはずのものがぼやけだした。いナ、ハッキリしていたはずのものをぼやけさした。何故か、一年前のあの人の名前は変わっている。ほとんど転び続け出した。スイッチ、いたるところに私の、爆弾めいてスイッチの列。押したら押したでそのまま縦の景色が丁寧に裂けていく。

 裂け目に充分な湯気を。熱気をここぞとばかりに吸い込む。怯える。忘れるということに対して怯えると同時に忘れなければならないとも思っている。忘れるのはひとつの機能だ。おぼえておくものが私だと思うことによって何かに怯えているしかし私は必ずこの時点での運動と、惑う気持ちでしかない。

  明確な回答を出さない人間は歴史ではない

  明確な立場を表明しない人間は歴史ではない

 だから私は追放された人間なのだと彼は言った。いや、誰に追放された訳でもなく追放の感覚をここに抱えていたということかもしれない。私には彼の感覚が分かる。それは小学校のロールプレイングゲーム。余計者の私。私は余計者にされていた訳ではない。周りの人々に責任はない。ただ、そのときの時間と今は真っすぐの一本糸で強く繋がっていて、ハッキリとその過去の時点で分かっていたのだが、私は余計者の感じとしかしっくりくるものがなかった と言えばいいのだろうか。つまり、立場がないのにもかかわらず、立場を表明することは出来ないという姿勢にしか親しみを持てない、生きているという感覚を持てないのだった。私は歴史ではない。私は追放の感覚を持っていた。私は、故郷という言葉を考えるのに苦労した。家族ではなかった。