<339>「ただ待っていた」

 どこへ訪れるか、何かを待っているような人がひとり。何だろう、停留所などの、待つに相応しい場所にいる訳でもなく、ただの道に、そりゃあ居てもいいのだが、誰かを何かを待つというのにはちょうどよく相応しくない場所にいる。待っているのではなく、止まっていたのだろうか? そしたらば、進行方向を向いている状態で止まっているのが自然だと思うが、横を向いていた。むろん、横を向いていようがそれは中途で止まってしまったという事実の否定にはならないだろうが、はて、止まっていることが何かを待つことだとしたらどうなのだろう。止まることによって、通常何を待つのか。具合の良さ、感覚の良さを待っていて、具合の悪さがとりあえず流れてしまうまでは、そこに止まっているということもあり得る。何かも待つためとも思えない場所で、進行方向からも身体をずらして待っていたら、やはり変であろうか。それほど変ではないから、私はんん・・・と思いつつ素通りしたのではなかったか。話しかけられるのではないかなどという要らない緊張感を少しだけ育てて、なるたけ歩くスピードを変えずに通り抜けたのではなかったか。安心していいのだろう、やはり待っているのだ。何かを待っているときだけじゃなく、ただ待っていたっていいではないか。むろん、ただ待っている訳ではないのかもしれないけれど、ただ待っているということがあったっていいということなのだ。何かがなくてもいい。ただ待っているからこそ、場所も、進行方向も関係がなかったのかもしれないぞ。