<155>「単調さのなかへ」

 飽きさせないものが飽きるものに姿を変えてしまうことほど耐え難いことはない。何故かは知らないが、全てのものは日常性をもたらされる運命にあるらしい。つまり、目先を派手に次々と変えていっても、必ずそれは一定のリズムに捕まる。それ自体(あっちこっちへ動くこと自体)が日常になる。そうすると、ただ退屈しているよりも落差が一層大きいので、なかなかにしんどい。こういうことを考えるときいつも、お釈迦様の手のひらの上から決して逃れられない孫悟空のことを思い出す。どこまで行っても日常の上・・・。そうして結局どこに至りつくかと言えば、ごくごく単調なところへだと思われる。飽きさせないものは、飽きを超えることが出来ない。抑えつけ、そして抑えつけたばっかりに増幅させ、加速させてしまうということを繰り返すだけだ。単調さに深く深く沈んでいけば飽きを超えられるのかどうか、それはまだ分からないが、最初から単調だと分かっていると、落胆は少ない。