<38>「遅れるということ」

 (この場面ではこういうコメント、あの場面ではああいうコメント、と、型が自ずから出来上がってしまい、流暢に話せはするが、それは頭を経過していないものなので、そういうものを見ているのもしんどいし、やるのもしんどい)

 そういったことを、声に出さずに頭で考えていた。まあそれはそれでいいのだが、何故頭で考えているだけだと不安なのだろう? つまり、こうやって口に出したり、書いたりしてみないと、なんとなく定着しないような気がするのは何故なのだろうということ。それはただ単に不安なばかりではなくて、喋ったり書いたりしないと、本当に定着しないことがあるという経験を持っていて、そこから無意識に学んでいたりするのだろうか、定かではない。

 とにかく、悲しくなるほど、喋るということ、書くということはスピードが遅い。それは、頭の中でのスピードが逆に速すぎるということなのかもしれないが、

「何でこんなに時間をかけて、頭の中を一瞬で過ぎ去った(しかもちゃんと意識で捉えられている)ものを、わざわざ模写していかなければならないのか」

と思うことはしょっちゅうだ。遅々たる歩み、遅れて行くこと、そこここに落ちているものを拾っていき、はて、私は何かを落としているか、書けば過ぎ去らない? そうか? 書いても、過ぎ去ったものは過ぎ去ったままでは・・・。この作業を日常的にしていることによって、頭の中の一瞬の流れをより強く意識することが可能になっているということはあるのかどうか、果たしてそうか、よくは知らない。