自由と不幸

 自由の希求は、ほとんど不幸の追求とも言えるのではないか。繋がりや、しがらみが増えていくことを幸福と呼ぶのなら。

 幸福ではなく、不幸になりたい。幸福を振りほどいて、徹底的に不幸へ突入したいと思ってしまうのは不思議だ。不思議でもないのか、幸福を目標とするような話が、ただの一宣伝でしかないのだとしたら。

 普通の会話。親類などが集ったときに醸成される落ち着いた、快い雰囲気が苦手だ。休日に皆が揃う食卓・・・。こういった会話、雰囲気が主な生活が、これから死ぬまでずっと続くとしたら・・・まずどこか途中の段階で参ってしまうだろう。

 気の遠くなるほどの会話の不在。たまさかの、崩壊した、くだらない会話。寛げるリズムはこれだけだ。