死が、無いことになっている

 健康面での不安を煽る広告に、憤りこそ感じないものの(年齢のせいか、まだそういう類のものに騙されて何かを買ったということがないから)、激しい違和感を覚えるのは、どの広告も等しく、

「まるで、死を無いものかのように」

扱っているからだ。

 「このままではマズイですよ」

とか、

「このまま放っておくのは問題です」

などという強い文言を使って不安を煽っているが、その、マズイとか問題とか言われているものの先に、一体どんな恐ろしいことが待っているのかと思えば、何のことはないそれは、

「死」

である。遅かれ早かれ、誰にでも平等に訪れるものだ。怖くても、静かなものだ。

 平均寿命という一応の目安のようなものはあるが、一個人がそれより全然早くなること、あるいは遅くなること、当然あるだろう。珍しいことではない。

 健康を著しく損なうような生活を送っていて、死期が早まる。

「ああ、もう少し節制していれば・・・」

と、勿論後悔するだろう。だが、健康に気を使って、もうちょっと長く生きたとして、短かった場合のそれより後悔の度合い、無念さが薄まっているかどうかなんて、そんなことは分からないのである。長く生きれば生きたほど良かったかどうかなんて、どうにか理屈をつけるだけで、そんなもの当人にも周りの人にも本当のところは分かりっこない。