遊びと気持ち

 子どもの頃は暇さえあれば遊んでいたのにもかかわらず、大人になるとあまりそこまでは遊ばなくなることに対して、

「成長に従い、あまり遊ぶ必要が無くなる」

という解釈が為されることがあるが、私はそれについて疑問を持っている。

 おそらく、社会に出たときにそこで行われているのは概ね仕事なのだから、だんだんとそこに向かっていく子どもが、成長するにつれて遊びを必要としなくなるのは当然だろう、という話なのだと思うが、それでは、社会に仕事という形で関わりながらも、一方で執拗に遊びというものに拘り続ける私みたいな人間が(おそらく)他にもいるだろうこと、そこまではいかなくとも、子どもの遊びを羨望の眼差しでもって眺める大人も多かれ少なかれいるだろうことには、どのような説明が付けられるのだろう。それを、

「遊びを必要としている」

と言うのではないだろうか。

 思えば、もともと快活な子どもではなかったにせよ、それなりに元気だったはずの私が、明らかに精神的に閉じ始めていったタイミングが、

「遊びは必要でないという空気が徐々に作られ始めていった時期」

とほぼ同じだったというような気がするのだ。大人になると、そこまで遊びは必要でなくなるという話は嘘ではないか、というような疑問は、大体こういう経験から出発している。