踊りは遊びの淵源に近い

 屋内の廊下の一本道、他に誰もいないことを確認した私は、挑発するような、快哉を叫び上げるかのような踊りを繰り出し、その中を闊歩していた。言い知れぬ快感を覚えたのと同時に、これが何か根源的なところから来る運動であることを感じていた。

 歩く、揺れるといった動作で整えていながらも、それらによってはとても統制しきれない衝動や勃興がそのまま外部に表れ、動きの均衡を不自然に崩していく。

 遊びそのもの、淵源から湧き出したエネルギーを、そのままあまり衒わずに何かの形に表していこうとする運動が踊りなのだとしたら、踊りは、遊びそのもの、淵源に近いところで起きている遊びだと言えるのかもしれない。

 諸々の整頓された遊びの出発点として踊りが在ると言ってしまうのは大袈裟に過ぎるであろうか・・・。