決して成就しないという形で完成する

 欲望というのは、成就可能性がある段階では曖昧な形を取っているもので、決して成就しないという段になって初めてくっきりとした形を取ることが出来、欲望が欲望として完成するものだと思っている。

 ここで言う欲望が完成するとは、

「欲望が満たされる」

という意味ではないことに注意されたい。欲望は、そのときそのときで満たされている限りは、完成することが出来ない。もう、今後一切満たされることがないという状況になって初めて、欲望は欲望として独立する。

 葬式の場面、葬式でなくとも、親しい人が亡くなった場面を想像してもらうと分かりやすいだろうか。ある人がもう戻らないのだということを悟ったとき、

「もっと沢山話したかった」

「もっと一緒にいたかった」

「まだ訊きたいことも沢山あったのに」

と、次々に後悔の言葉が溢れ出てくる、などという経験は誰しもしたことがあると思うが、これだけスラスラと、

「もっと~したかった」

という項目が無数に羅列され得るのは、後悔の度合いが相当に強いからというよりも、自身の中で曖昧な形を取っていた欲望の数々が、相手の死によって成就不可能になることにより、次々にくっきりと浮き上がり、欲望として完成していくからだと言うのがより妥当だろうという気がする。

 後悔の度合いが強いが故ではないことの説明として、仮に(実際にはあり得ないことだが)、

「もっと沢山話したかった」

と言っているところへ死者が復活して戻ってきたとして、最初の2、3日は喜びに任せて体力の限りを尽くして話したとしても、必ずどこかのタイミングで話すことに飽きが来て(私と彼との間に会話成就の可能性が復活したことで、話したいという欲望がまた曖昧な形へと戻っていくから)、死者がまた再びここに生き返ったことに慣れてしまえば、別段そんなに沢山は話さなくなるだろうから、とすれば足りるであろうか。