旅やら何やらの関係で家族が不在。2~3日をひとりで過ごすことになっている訳だが、こういった状況に置かれるときにいつも思うのは、
「私は、本当に飯で生きているんだ」
ということだ。
あまりにも当たり前なことなのだが、このことにいつも、少なからず驚くのである。それは、飢えということを、20数年の間ずっと、
「知識の上でしか」
知らなかったということなのだろう。
「飯が無ければ生きられない」
というのは、私にとってはどこまでも知識であって、実体験ではない。だから、当たり前のことだと知ってはいても、あまりピンと来ていないのが正直なところなのだ。
では何故それを、家族不在の折に擬似体験するのかと言えば、それは、幼いころから今時分まで、飢えということを知らなかった私の身に、
「家族がいなければ生きてはいけない」
という感覚が染みついている為なのである。家族という、あまりにも当たり前に飯が供給される環境下に居続けた私に、
「必須のもの」
として浮かぶイメージは、飯から家族へと、いつの間にすり替わっていたのだ。
それは、知識としては誤りなのだが、感覚としてはいまだに根強いので、ふと、しばしの家族不在の瞬間が訪れると、
「何故家族が居なくても、飯さえ食っていれば私は死なないのだろう?」
というような感想が、一瞬頭をよぎるのである。そして、しばらくの後、
「そうか、私は家族が無ければ生きられないのではなく、飯が無ければ生きられないのだ」
ということを強く実感し、何だか不思議な気持ちに陥るのだ。