不必要だからこそ大切に

 別に相手には悪気はない、むしろ大事に思ってくれているからこそ、私に向かって、

「あなたが必要だ」

という言葉が出てくるのだろうと思う。

 しかし、有難いのだが、

「そんな嘘、無理して言わなくても良いよ」

と私は思う。

 必要と言うのは文字通り、

「必ず要る」

ということだ。なくてはならないということだ。そして、人間にとって必ず要るもの、なくてはならないものというのは、つまるところ、

「水と食料」

だけだ。空気もそうか。どんなに自分にとって大切な人であっても、絶対に要るということにはならない。他者は、自分にとって「絶対に必要だ」という存在にはなり得ない。

 何故なら、大切な他者が死んでいなくなったとしても、私の生命には何の問題も起こらないからだ。大切な他者が無くなれば悲しいが、水と食料があればとりあえず生きては行ける(もちろん、自殺などで意図的に、心臓が勝手に動いているのをあえて止めることで、後追いみたいなことをすることは出来るが・・・)。

 だから、他者なんて人間なんて、所詮「絶対に必要」ではないのだから、居なくても構わない、ということではない。その逆だ。

 例えば、

「水や食料」

などの「必ず要る」ものは、人間に拠って次々に消費されたところで、そう簡単に尽きてはしまわず、当分は溢れ続けるだろう。尽きてしまえば、人間もそれに倣って滅びるだけだが、まだそこまで行くのには気の遠くなるような時間がかかるはずだ。

 しかし一方で「絶対に必要」ではない一個の人間は、「絶対に必要」ではないからこそ、また生まれ変わって世の中に出てくる可能性が極めて低い(絶対に必要なら、同じ人間がまた再び地球に出現するはずだが、そういう例は無い)。というよりその可能性は限りなく0に近い。一度死に別れをしてしまえば、それっきりの可能性が高い。

「水や食料」

などが大切ではないということではない。ただ、不必要な存在は、不必要であるからこそ、一度消えてしまったらもう二度と会えない可能性が高いから、大切なのだ。不必要な存在は、必ずまた地球に出てこなければならない理由が無い。

 だから、他者であり人間は、

「必要だから」

大切なのではない。

「不必要でも、不必要だからこそ」

大切なのだ。必要なものなら一度無くなったってまたすぐ会える。けれど、不必要な存在である人間は、一度無くなってしまえばもうほぼ会えないと思って間違いない。不必要だからこそ、私は、そして他者は大切なのだ。