血気盛んなのは困るが、あまりひ弱でも困るという矛盾した気持ち

 たまに、年配者が、

「近ごろの若者は元気がない」

などと言って怒っているのを見かけると、

「いや、年配者たちにとって、若者に元気がないのはむしろ喜ばしい事なんじゃないか」

と思ってしまうのですが、というのも、世の中が血気盛んな若者で溢れていたら、年配者にとってはおっかなくて仕方ないと思うからです。

 別にどこの誰がとは言いませんが、元気な若者が多数いるところなんて、ロクなことないでしょう。ですから、口では、

「元気がない」

と文句を言うけれども、じゃあ望み通り、元気な若者で溢れれば年配者は納得するかと言えば、そんなことないんじゃないかなと思います。身に危険が及ぶ可能性が高まるだけですから。そうなったらおそらく、

「近ごろの若者は元気があり過ぎて良くない」

と言うんじゃないでしょうか。

 しかしそうはいっても、

「あんまり若者に元気がないのはなんだかなあ」

と年配者たちが思ってしまうのも、全く分からない訳ではありません。もしも自分が年配者で、元気のない若者たちを目にしているという状況があったとすれば、

「もっと鍛えなさい」

とひとつ言いたくなるかもしれません。

 しかし何故、血気盛んな若者が増えたらロクな事はないはずなのに、若者には元気であってほしいと望んでしまうのでしょうか。

 私は、おそらくそれには、

「古い記憶」

が関係しているのではないかと思っています。「古い記憶」というのは、年配者がまだ幼かった頃というようなぐらいの昔のことではなく、もっと長いスパンでの、人類として受け継いできた「昔の記憶」のことです。

 つまり、力がなければ淘汰、あるいは支配されていた頃の歴史の記憶の名残が、まだかすかに人間の中に残っていて、その記憶が、若者のひ弱な姿に危機を見出しているのかもしれないということです。

 もしそうだとすると、現代は別に、若者がひ弱だとかそうではないとかで淘汰が起きたりはしないような時代なのにも関わらず、若者に血気盛んさをなんとなく望んでしまうという矛盾についても少し分かるような気もします。