<586>「いない目のこと」

 この場所にもし視線がひとつないとすると。そんなことは当たり前のことだがもしないとするとどうなのだろうか。それでもつのか、もたないのかなどという余計な考えを早急に取り去って何故か私は緊張している。多分、緊張自体を望んだ訳ではないのだが。

 何が休憩になるやら分かったもんじゃない。何がここまで疲れさせるのかも。さびしくなかったりそうであったりするのに状況は関係ない。順番に回ってくる状態だ。どうしようもない、というリズムを聞くとき、非常にそれを暗く感じるのか何てことはない淡々としたものに思えるのか。状態が登場シーンを徐々に変えていくので幾度か対応し損ねることがあるようだ。君はその場面を眺めたのだろうか。眺めたところで、ふたつみっつの異常な呼吸に気づくのだろうか。気づいたところで、そこで思いきりガハハと笑う勇気があるのだろうか。勇気があったところで、程度のことを考えて遠くからひたすらに回ってくることが出来るのだろうか。出来る、それはあなたにも出来る。能力を見込むからではない。景色がそうあることを望むので、自然身体がそのまま進むのである。いやあ参った参った。何度も同じ映像を確認しているので私の表情は明るいのである。

<585>「隙間帯の動き」

 いやですよあなた、かきまぜられるだけかきまぜられているのですから。この大音量は私のどこを回って、何を使って上ってきたのでしょう。真新しい驚きのそれである、ということで、徐々にひとりになります。いや、徐々にではないかもしれなく、ひとりの風景がだんだんに特徴を変えてゆきました。

 ふるえたままでいるからどれもこれも無感動などと頑張らせない。無感動は志向なのだろうか、状態なのだろうか。俺の咄嗟の無表情は、ただ動けなかったということだけなのか、動くつもりもなかったのだろうか。

 あとからあとからそう言えばそんな気もするいやそんな気がしてきたぞ、という動きを取るのが心の自然なのだろうが、その自然が嫌なのだ。いや、それで解決を見ようとする心が。何が自然だ。お前の、ひいては人間全体の習慣がそれを作っているのじゃないか。そんなふうにものを考えて何になる。何にもならない。何にもならないということが分かればいいのだろうか。一応そういう運動を経過してみないと、初めから終わりまでずーっと惑いじゃしんどいんだろうね。

<584>「日の熱」

 あれかな、身体かな。どんなでもあれ呼吸と呼吸。充分にあたたまってきたものだから溶けていくのだろ。まとめて浴びたいや。何故だろうね関係あるのかな治ってみたりやめてみたり。元気だね、元気でなくて、続けているのだけ。合点だけカタカタこのままだと元々の考えがねじり回されていくままよ。その声、ひとつごと、振り返りつつの笑み、そらで口から滑り出すもののなか、ひとひと、人見て。あれ前から、きっとこんな顔だから、誰が探すのでもないけれど。その日には招待を受けて控え目な眠りから眠りへ。一日に関係のない瞬間、これだけをまた何かしら不可思議とでも言いたげに視線を寄越して、寄越し過ぎていて、急な展開などを考えて笑って、思い出してみてズレて、順番に現れることから一度この場面も始めてみるのだからあたたそりゃ・・・。

<583>「ここにはずっと座っていられる」

 私がこの間だけ、全体的に眺める。軽くて、風景は遠くて、悠長なだけ、ぽこぽこ喋って、ふたつの会話だけ、地べたから浮いて、訪ねて、訪ねて、見たことのある間合いがあっという間にここへ戻る。やあやあ、なぜなぜ? あたらしくされるもの、そのされた分だけまた喜んで、いて、いい。ちょっと、呼吸が中断して、窮屈だがそのものが見せるから、止まるにはちょうどよく、ああ、うれし、じゃなし、だけでなし、謎めいて見えるからにはまた笑ってみせる。

 おお、この場合、暴れ出されながらなかなかまたひとつ前のところで待っているのだ、などとは言わない、言えない。誰かがそうしていても、静かに座っていて、だんだんに音が増えていくことや、ぱったりと止んでしまうことなどがどちらも奇妙な安心感を運んでいる。運ばれた先で、私を見るものと言えば・・・。ひそやかに見るものと言えば何か、何かな。

<582>「混線する、」

 ひとつのものといつもいるのよ。つまみあげるだけつまみあげて、ひとつのものと、いつも。通りを目一杯に渡り、なかなか現れないだけと割り切って、退屈なら二度三度とまた鮮やかに巡って、部分という部分を起こして、また太くなり、きっといつもそこで当たり前に止められていたものさえも一緒にこの道をゆくと考えるだけでまた増えて、そこはかつて丸い細いものがずっとずーっといつまでも通っていた。しかし今そんなことを言われましてもそんな記憶はありません知りません。構わず進んで、あなたもだいぶんあたたかいのでしょうけど、私だってあっちへいったりこっちへいったりしますから、時折挟まる不愉快のことは大目に見て、いや、ほとんど見ないで、いや、過程のひとつとして大事にして、ああこれは日常なのだとも考えて、恥ずかしげもなくまたその色を大胆にここへ映して。

<581>「これからの遠くのため(はいろい色)」

 一昨日その眠たさと噛み合い始めた場所から、飛び飛びの記憶を頼りに全体像を結んでゆく。訪ねる方法はそれしかない。そういえばただゆっくりと歩いている時間はどこかに放っておかれ、いつどこで出会ったのかふたり、視界を鮮やかに飾るふたり、このまま、笑わないで居る必要があるの、とでも言いたげに、ふたりがそれぞれの色を瞳に映して、あれやこれやが、平生の意識を取り戻してゆく。いや、私はこんな意識を知りません。振り返ることだけは避け、散らばったものは散らばったまま、音もある空気もある内緒で探した場所だけでなく、またその探索に何らの労苦もなく、維持してもいず、勝手に出来上がってまた印象を消すのか残すのか。頑なにはいろい色を保っている。おとなしいじゃないか。そこに休みに来ているのだろうか。私がここへ来るのに何らかのきっかけとリズムが必要なのだろうか。これからの遠くのためのよう。

<580>「言葉の在り方」

 「あなたが言ったことに対して、私は何の反論もありませんし、言いません。恨みも怒りもありません。が、あなたは、私に何かを言ったということ、自分の立場を棚に上げて何かを喋ってしまったということを、いつまでも憶えていてください。自分がどれほどのものなのかという反省もなしに、長々と様々な言葉を並べてしまったことを、いつまでも憶えていてください。私も憶えています」

 そう言われたきり、しばらく身体がどこにあるのか分からなくなった。恨みや怒りもないまま、ただこの事実だけが双方に残り続ける、という可能性をどれだけ信じられただろうか。あくまで憶え続けるならば、そこには怒りが伴っているに違いない、と。

 しかし、何の怒りも感情すらもなく、その記憶はただただ残り続けて、人ひとりひとりの足を時折強制的に引き留めていたのだ。さすがに泣きもしなければ笑いもしなかった。怖れといっても、どのように怖れたらいいのかすら分からなかったのだ。