<585>「隙間帯の動き」

 いやですよあなた、かきまぜられるだけかきまぜられているのですから。この大音量は私のどこを回って、何を使って上ってきたのでしょう。真新しい驚きのそれである、ということで、徐々にひとりになります。いや、徐々にではないかもしれなく、ひとりの風景がだんだんに特徴を変えてゆきました。

 ふるえたままでいるからどれもこれも無感動などと頑張らせない。無感動は志向なのだろうか、状態なのだろうか。俺の咄嗟の無表情は、ただ動けなかったということだけなのか、動くつもりもなかったのだろうか。

 あとからあとからそう言えばそんな気もするいやそんな気がしてきたぞ、という動きを取るのが心の自然なのだろうが、その自然が嫌なのだ。いや、それで解決を見ようとする心が。何が自然だ。お前の、ひいては人間全体の習慣がそれを作っているのじゃないか。そんなふうにものを考えて何になる。何にもならない。何にもならないということが分かればいいのだろうか。一応そういう運動を経過してみないと、初めから終わりまでずーっと惑いじゃしんどいんだろうね。