普賢菩薩騎象像が見たかったものですからね。
実物はすごく清潔感のある、というか、すっきりと丁寧に作られているものだなあと感じました。コクホー。
目を閉じているようで、うっすらと開いているんですよね。表情はなんというか、集中していると感じられるような、でね。ぬうっ、という、普賢菩薩の内世界へ向けての集中力が感じられる作りでしたよ。是非どうぞ。
他にも虚空蔵菩薩像図や、当麻曼荼羅図(『死者の書』などに関係ある?かな)、それから鹿の曼荼羅なんてのもあって、そりゃ、楽しいっすよ、そりゃあ。
まず建物が派手なんですね。周りが現代的なビルばっかりのところへきて。それが嬉しいじゃないですか。もりもりとなりますよ気持ちも。そいで玄関の外というかな、大倉さんの像が、人間にしちゃちょっとデケエ訳ですよ。それもテンション上がるので、是非どうぞ。
建物も派手なんですけど、まあ昔から、中学生ぐらいかな、仏像かっこよくて好きで、でもそのころはやっぱり枯れ、というかね、塗装も何もかも剥がれ切ってるのがカッケエんだ、みたいにね。そういうちょっと気取りがあるじゃないですか。
でも今日行って面白かったのは、近世(江戸期かな? 間違ってたらすみません)ごろからの、極彩色の図像の方に惹かれている自分がいたことですね。剥がれ切った枯れもいいけど、仏像もやっぱ金ピカがいいっしょ、みたいな価値観にいつのまにか自分が変化していました。変化。東南アジアとかの、あのギラギラな建築群好き。
あと変化で言うと、20代前半くらいのときには、さあなんでも吸収したる、来い来い来い、みたいなテンションで美術館とかに入っていって、出るときにはもうクタクタになってたわけですけど、今は別に、うん、カッケエじゃん、最高じゃん、みたいないい意味での軽いテンションで中を回れるように身体が変化してて不思議でしたね。
あとまあ仏像ですから宗教ですよね。私はひとりで動いている方が好きなので、あまり社会的な活動としての宗教とかは苦手なところもあって何もしないんですけど、こうしてまとまったところで芸術群なんどを眺めてるとさ、宗教的集中ってのは、社会的な活動とは全然離れたところで、現在の人間にも必要なもんなんじゃないかなあって思いますね。だって千手観音とかのインパクトを超える芸術って、像ものとかでね、あんま無い気がするんですよね。宗教的集中、高めるぞ、みたいなね。
大倉集古館、初めて行きましたが、グーです。どうぞ。