<630>「興味と身体」

 このことについて関係がある、と思って喋るのでなければ、接近、密着は望まれず、何も語ることがないのは無関心なのかどうか、そりゃそうだろう、という声の周りに弱い弱い疑問ようのものを渦巻かせている。

「私が言うようなことは全くないのか」

ポーズを取ったりするだけで、外的にはOKになることや、ポーズを取らなかったりするだけで、全く駄目ということになる瞬間を、私は笑ったらいいのか。

 自分の思ったような方向に、他人は都合よくついてきてくれない、という事実に、ただものすごくイライラしているだけなのではないか。無関心が罪だなんて、日常のほとんどの時間でこれまで考えてもみなかったんじゃないか(無関心には知らず知らず助けられている。そしてそれに気づかないことの方が多い)。また、ポーズを取ってみても、協力しようと努力してみても、自然と興味を持てないものについては上手く身体が動いていかないことを、自分自身が一番よく知っているのではないか。自分で本当に動けているものは、自分で本当に興味を持てているものだけだと、誰より自分が一番よく知っているのではないか。