<310>「あたふたする機械」

 理解を超えることに対してあたふたする機械、その正確な作動だけを期す。故障した場合、何も感じないのか、あるいは冷静な判断を持ち出すのか。やけに落ち着いている状態を眺めて、これは故障だと見極めることには大変な困難が伴う。また、正確に動いているときと、つまりあたふたしているときとの見た目の差があまりないときている(あたふたしているのは内心だけで、表情には出にくい)。

 そのことだけしか考えられなくなるか、全体的にぼんやりとして、思考能力自体を一瞬失っているか、そのどちらかであるときは大丈夫だ。むろん、外で起きていることは理解を超えているのだから、そういった意味では大丈夫じゃないのだが、そういったときにちゃんとあたふたしていればそれでいいのだと決める、ここでは決める。ここでもし何かの判断が為されるとして、それが的外れ、迷いでないとしたらば一体何であろうか、と言ってみて良いと思っている。