店の前に立つと男は、顔をゆっくりと上下に動かし、小さな戸を引いた。いくつもの顔がこちらを見ている。喜怒哀楽はもちろんのこと、戸惑い、薄笑い、恥じ、癇癪などなど、種類は無数だ。
「どれにいたしましょう」
店の主人が、倦怠と憎悪の隙間から顔を覗かせた。
「ええ・・・」
男は、一切の感情を失った顔、と銘打たれた顔の前まで来た。これにすると言うと、
「大変申し上げにくいのですが、さほど変わらんと思います」
と主人。それでもいいのだと購入し、さて何をどうするのやらこの表情を、とにかくにも張り付けた。
しばらく経ってのこと、もう会うこともないと思っていた友人に声をかけられたが、つまりは気づかれたのだった。
「なるほど、大して変わらないか・・・」
「そうだなあ。久し振りに会ったけど、変わらないなあ・・・」
共通の過去を呼び出して、それなりの時間何やらと話し、その後別れた。
別れながら歩いて、
「おかしいなあ・・・」
と首を捻る友人。腹の底から笑っているような声だけ出して、さて顔がひとつも動かないのはどうしてだっただろうか。男は一方で、顔の動かないことには気がついていないのだった。顔は私ではない。尤も、それはいつに始まったことだか分からない。男は、自他も曖昧なうちからあの店を知っているような気がした。