透明になる快楽

 あの人はああである、この人はこうである、最近はこんなことになっているらしい、などの噂話を展開しているとき、私というものはどこかへと消えてしまっているように感じる。透明になっているようだと言っても良いだろう。

 他人の印象、近況を思うままに語り、勝手な推測を進めているとき、私自身の問題は、私自身の語り方によってどこかへ飛ばされており、そのさまは意図せずとも、どこか上からで、偉そうになる。

 省みて、不備、欠陥の類が多く認められるはずの存在である私が、あたかもそんなものは背負い込んでいないかのように色を失っていく。その快楽たるや。赤の他人に対する語りがこれでもかというほど加速し、いたるところで休むことなく繰り返されているのも、こういった快楽と何か関係があるのかもしれない。