「やっぱり本を読まないとダメだよねえ・・・」
私が、本を好きでよく読んでいるということを知っているからか、こんな質問を投げかけられることがある。
「う~ん、どうなのかねえ・・・」
と、そのときは曖昧に返すが、本当は、
「これこれをやっていなきゃダメなんていうことはない」
と思っている。生死に関わる問題以外全て、やっているとかやっていないとかはどちらでも良いという考えだ。
私は、ただ道楽で本を読んでいるだけだ。読んでいなければ死んでしまう訳でもなし、必要が無い人には、とことんまで必要の無いものだろう。
そもそも、冒頭のような質問が出てくるということは、勝手にその人がダメと決めているか、ダメと決めつけている人の話に触れたかの、どちらかであろう。どちらにせよ、ダメと決めつけるのはおかしいが、
「おかしい」
とただ非難をしても仕方が無いので、何故、
「これこれをやっていないとダメ」
と言いたくなるのかについて考えてみる。
突然だが、私は毎日軽いメニューのヨガをやっている。おかげで身体は柔らかいし、長時間歩いていても疲れにくいような身体に仕上がっている。これだけ良い効果を体験していると、自然、
「ヨガをやっていて良かったなあ」
と思うようになるし、そうすると、ヨガをやり始める前だったり、仮に、ヨガをやめてしまった場合のその後だったりを想像して、
「いやあ、ヨガはやっていないとダメだなあ」
ということも思い始めるようになる。得た効果が失われ出すことをおそれているからだ。
何事も、効果の得始めは素直に喜べるのだが、効果を得ている時間が長くなると、それを失うことばかりを考えるようになってしまう。すると必然、
「やっていないとダメだ」
という意識ばかりが強くなり、人に話をするときなども、その喜びではなく、やっていないとどれだけのものを失うことになるかばかりを強調してしまう。
「ヨガはやっていないとダメだ」
と、まだ何の効果も得ていない人に伝える滑稽さには気が付かずに・・・。
要するに、本当は(生死に関わる問題ではないのだから)やっていなくても別にダメではないものについて、
「やっていないとダメだ」
と言ってしまうのは、効果を得過ぎたあまりの不安の拡大が原因なのではないかということを言いたいのだ。自身がそれを失ったときのことを思って不安になるから、
「これこれをやっていないとダメだ」
と、ついつい関係のない他人に言ってしまうのだろう。むろん、他人がそれを真に受ける必要のないことは言うまでもない。
関係のない他人に、
「これこれをやっていないとダメだ」
と言われて真に受けなければならないのは、生死に関すること、それこそ、
「食わなきゃ」
とか、
「寝なきゃ」
とかだけだ。それ以外のことは好きにするのが一番だ。