勝手に存在していてくれい、という勝手なね・・・

  夏が終わりにかかり始めまして、どうも大分蝉なんてものは見かけなくなってきましたが、これがどうも私にとっては嬉しい限りのことで、と言うのも私は、蝉が苦手なんですねえ・・・。まあ、以前にも書いたように、そもそも虫が全般的に苦手なんですが、蝉は特にです。

 でもどういう訳か、誠に勝手と言わざるを得ないんですが、居なきゃ居ないで、

「寂しいねえ・・・」

と思うもんですね。ええ。つまり、遠くの方で鳴いていてくれる分には良いんです。近くに寄られるとダメだという話でね。

「近くに寄られるのはイヤだけれども、居ないと寂しいから、どっか知らない遠くのところで勝手に存在していてくれい。声だけ聞かしてくれい。」

と本音のところでは思っています。

 しかしまあ、この類の感情というのは、向かう先が必ずしも虫ばかりという訳ではなく、人間に対しても向くことがありますね。親しい人達なら良いけれども、生きていれば必ず、嫌いな人、合わない人、これ出てきます。ただ、そういう人たちが居なくなってくれたら良いなあと思うかと言えば、まるでそんなことは無い訳ですね。やっぱり、

「知らないところで、勝手に存在していてくれい」

または、

「関わり合いのないところで、勝手に存在し合おうや」

という思いを寄せる訳です。

 命の終わりというのは、愛し憎しに関わらず、あまり嬉しいものではありませんからねえ・・・。