余韻をください

 お寺の鐘はですね、

「ボーーン」

とひとたび鳴らされれば、しばらく音が出た状態が続き、だんだんと音が小さくなっていって、次第に聞こえなくなっていくという具合になっている訳です。余韻がある訳ですね。私はこの余韻が好きなのですが、こういった、お寺の鐘の音のように、余韻があれば良いのになあ、と思う場面が日常にはいくらか存在します。

 まずは「会話をする場面」ですね。あれだけ盛り上がっていたのに、というよりは、盛り上がっていれば盛り上がっているほど、皆が笑い終わった後、あまりの速さで訪れる沈黙の瞬間が、ものすごく寂しいものに感じられます。もっと、笑い声などがお寺の鐘のように、徐々に小さくなっていき、余韻のようなものを残しながら消えていけば、沈黙が突然訪れるというようなこともなくて良いのになあと思うのですが、

「余韻が残るような笑い方」

など、意図的に出来るものではないので、難しいですね。

 それから、「テレビなどを見ている場面」もそうなのです。確かに、もう見ないからといってテレビを消したのは私なのですが、今までワーワーワーワー賑やかにやっていたものが、電源ボタンを押した瞬間に、まるで今までの賑やかさは嘘であったかのように、

「プツン」

と、あっという間に目の前から無くなってしまうのは、やっぱり寂しいのです。もっと余韻を残しながら、音だとか映像だとかも、緩やかに消えていってくれたら良いのですが・・・。