考えすぎた人達の人生は間違っていたか

 三日前に書いたことにも繋がるのですが、私は、

「考えすぎだよ」

と言われてしまうことが多く、そう言われる度に、反発を覚えて生きてきました。

 確かに、思考と行動のバランスが悪いということは自分でもよく分かっていますし、また、経験というものの重要性、何がしかの経験をすることによって、自身の想像内容の精度が高められていくということも知ってはいます。

 ただ、思考と行動が、完全な均整を保っている人というのは存在しないでしょうし、どちらかにバランスが偏っている、あるいは偏り過ぎているとしても、人生が所詮虚無であるとするならば、

「考えすぎる人生も一興、全く考えずに突っ走る人生もまた一興」

なのではないかと思うのです。

 何か、考えすぎていることは、それ自体がひとつの失敗、あるいは勿体のないこととして捉えられているように感じるのですが、私より以前にも大勢居たであろう、考えすぎた人達の人生も、決して失敗なんかではなく、それはそれでひとつの立派な生き方だったのではないでしょうか。人生に意味なんかないとすれば、その生き方はその生き方で、なかなかに味わい深いものだというように思っています。

 詩人の相田みつをさんは、おそらく、自身の考えすぎを戒める意味も込めて、

『かんがえてばかりいると日がくれちゃうよ』

と言ったと思うのですが、

「考えてばかりいなくても」

日は暮れちゃうんです。それに、思考と行動のバランスがきっちりと取れていれば、人生は最高なものになるかと言えば、それも怪しいところだ、というように思っています。