「犯罪をする奴なんざあ、ろくなやつじゃねんだから、どんな罪だろうと一生牢屋にぶち込んどけ」
という言説に触れると、
「どうして、自分が犯罪者になることもあるかもしれないという想像力が働かないのだろう」
と不思議に思ってしまいます。
おそらく、犯罪をするべくしてするような、「犯罪者」という人種のようなものが、一般大衆とはまた別に存在していると考えるからこそ、こういう発言が飛び出すのでしょう。
自分が真っ当に生きてさえいれば、そんなことになるはずがないと思っているのかもしれませんが、別に自分の意思に関わらず、ある種まともではない状況に巻き込まれる可能性というのは、いくらもある訳です。そういった状況に巻き込まれたとき、普通の人、「善良な」人、「まともな」人ならば、犯罪をせずに、その場を交わしきれるかといったら、それはいくらか怪しいぞ、というような気がするのです。
例えば、家に帰った時、あなた以外の家族全員が殺されていて、犯人は逃げようとしたけれども、結局のところ怪我を負った為に逃げ遅れ、リビングにうずくまっているという状況にあなたが立ち会ったとしましょう。
このとき、犯人があなたに向かって、怪我をしているのに、命乞いするどころか、
「全員殺してやったぜ」
とヘラヘラ笑いかけてきたら、
「ああ、そうですか」
と、冷静に警察に連絡し、その後警察を待っている間、犯人は怪我をしていて逃げられないから、とどめを刺す必要は無いといって、何の報復もせずにいられる自信が、もっと言えば、殺さずにいられる自信があるでしょうか。私にはその自信がありません。おそらく、必要のない一撃であることを知りながら、私は犯罪者になってでも、犯人を仕留めることを選ぶでしょう。