そこまでドライに判定できるのか

 芸能人でも政治家でも誰でも良いのですが、その人に、いわゆる「黒い部分」が見られたときに(灰色と言っても良いですが)、それを潔癖的に嫌がり、一気にその人をその世界から排除しようという気運が高まることがあります。それを受けて、確かにそういう良くない部分があるかもしれないけれども、それを差し引いたって、その人の持つポテンシャルは素晴らしいものだと思う人達が、

「ああいう人には黒い部分があるものなんだ」

であるとか、

「むしろ、黒い部分はあった方が良いんだ」

というような擁護の形をとることがあると思うのですが、私は、そういった「黒い部分はやむなし」として肯定するかのような擁護の仕方には違和感がありますし、だからといって、高いポテンシャルを持つ人物を、潔癖的に排除してしまうというやり方にも違和感があります。

 何が言いたいのかというと、そういうことはどこまでも「ドライ」に判定しませんか、ということなのです。黒い部分があることに関しては、非難を加えることを控える訳ではなくそれ相応に行い、一方で、技能が高くて、まだまだ力をその分野において発揮してもらえるのであれば、潔癖的に排除をすることはしない、という姿勢を取るのが一番良いと思うのです。芸能の分野なり、政治の分野なりで、黒い部分を一切許さない徹底的な排除を行った結果、その分野の衰退が著しくなった、という事態に陥ってしまっては本末転倒ですから。

 ただ、そこまで「ドライ」に判定できない人の気持ちも分かりますし(感情というのは理屈より強いですから)、自身も、そこまで「ドライ」に判定できるかということに関しては、いささか自信がないというのが確かなところなのです。

 黒い部分を持ちながらも、一方で高い技能を持っていて、ある一分野に多大なる貢献を果たしている人がいたとして、この場合、「ドライ」に判定するという理屈でいけば、その分野から排除することは大きなデメリットを生みますから、そのままにしておくというのが妥当な姿勢なんだとは思いますが、どうしても感情が付いてこない場合、その理屈に従えるかどうかということは、若干怪しいというか、難しいなあ・・・と思ってしまいます。