良い悪いを決めない、目標に据えない

 良い人であろうとすること、良い人になっていくというのを目標に据えることは、潔癖を生むからあまりやらない方がいいと思うようになっている。

 良いとか悪いとかいうものは非常に曖昧で、馬鹿にかっきり2つに分けられるものでもない。そこへきて、

「良い人」

というのを目標に据えてしまうと、分けられないところを無理に分けようとする実践に入らなければいけなくなる訳だが、大抵その試みは失敗に終わる。

 本来いろんな要素が入り混じっているのが当たり前なのだが、その実践をしているうちは、自分の中に芽生えたある嫌悪感だとか、淀んだ感情だとかにいちいち敏感に反応してしまい、それによっていちいち落ち込み、次第に耐えられなくなって、ついにはその目標を放り出してしまうようになるのが常だ。

 また、以前『「ジキルとハイド」が気になる』というものを書いたが、

「良い人」

になろうと願えば願うほど、そうではない部分を自分ではないと思いこみたくなる欲求は強くなると思っていて、それはジキルの辿った失敗の端緒ではないかというような気がしている。

 もちろん、だからといって反対に、

「悪い人」

になろうとするのは、

「良い人」

になろうとするのと結局は同じ発想だということも忘れてはならない。