<322>「橙の反省」

 大体において、色を回避する。最大限の譲歩として現れた、道は急げと言っている。雰囲気の叫び、雰囲気の倦怠、雰囲気の中に沈殿する不可解な太陽は、道を奪った行為のいちいちを恥じた。大体が、そんなに明るい時点で既におかしかったのだ。腹を抱えて笑っていたのはあなただけではなかったのだろう。内緒の噂でそうと決まっている。橙、白色の反省としての、ごく短い・・・。

 色を失うことで回復する通りを改めて歩く、歩く、歩いているうち、焦る訳でなし、呼吸が弾んでいることに気づく。そうだ、走っているのがそうなのだ。

<321>「謂れ無き高評価」

 謂れ無い好評価に耐えられなかったのではないか。むろん、好評価自体は心地良いし、嬉しい。しかし、である。私が選択したのでなかったもの(選択できないもの)、運によったもの、環境がもたらしてくれたもの、努力と見えて実はたまたまであったもの、そういったものの力によって評価を受けて嬉しくなるその背後で、その謂れ無さに何とも言えない苦さを覚える。居たたまれないというか、他のどんな場所にいるときよりも強く、逃げ出したいと思う。

 悪い評価、低評価ならば、ただ憤っていればいい。そんなの全然平気だというフリをしていればいい。別にいいんだけれど、でも何か納得いかないなあと思っていればいい。様々に反応のしようがある。しかし、謂れ無き好評価は・・・。どうしたらいいのだ、逃げるしかないではないか。

 謂れ無き好評価の最たるものは何か。私はそこから逃げ続けてきた・・・。

<320>「朝だ、朝だ、」

 蓄積や、量というものを感じられない、あるいは感じにくいからこそ、毎日々々を送っていけるのかもしれない。朝、目が覚め、そして外の光景に出合う私は、ここまでの20数年の蓄積を感じてその場に立っているのではなく(感じてみようと思っても、そのように感じられた試しがない)、ただここにあるひとつの、それ以上ではない身体としてその場に立っている。

 しかし、朝を迎えるのは今日が初めてではない。昨日も一昨日も、朝を迎えたはずだったから、今日の朝を迎えた全身は、目は、ひょっとしたら何らかの蓄積を持って立っていたのかもしれない。ただ、今日の朝が今までの諸々の朝と重なって、またひとつそこに朝の蓄積が為されていくんだ、というような現実感覚でいる訳ではない。では、今日の朝に出合っている私は、一体どのようにして出合っているのか。初めてのもののように? いや、散々繰り返されてきたもののひとつのように? いや・・・。それは近づいているのでもなければ遠ざかっているのでもないだろう。蓄積を感じにくい身体は、同じものにまた出合うという事実をどのように経過しているのだろうか。

「また朝だ・・・」

という呟きを漏らす人にまだ出会ったことがない。朝を迎えればやはり、

「朝だ・・・」

となる。大抵の人はそうだろう。朝が来たことを確認した。この確認という作業にも蓄積感はない。そうだから人によっては何度も何度も繰り返す。朝が来た、しかし、また来たという感じではないその朝を、確認するのだ。

<319>「同時的な悲哀」

 同時的な悲哀を抱えて、別人は去る。夢の谷間の深い流れに身を任せる後ろ姿は、問答無用の寒さを告げている。緊張はない、後悔もない。早くも遠くへ流れ去る光景を前にして、ひとつくしゃみを混ぜてみるだけだ。

 奪われた者たちは、奪われた者たちで集まることをやめ、気の済むまで浅く、浅く眠る。検討のない夜だ。長く生き過ぎた者の震動が、全体に伝わり過ぎるばっかりに、私だけではないだろう何者かが何も分からない。怒りは湿った土に触れ、ひやっとする表情の、目の、あまりにも全てであり過ぎる目の、情け容赦のない往来。隠れる角も隅も、忍耐に値する気分も天気もない。別人はようやく歩き出した。

<318>「歪んだ眠気」

 険悪な雲の周りを、能天気な光が照らしている。光には、暗い雲という存在のことが分からなかった。見る力がなかった訳ではない、本当に存在しなかったのだ。その目には、他の存在として映っていた。雲は、暗さを映さないその瞳を批難する訳にも行かず、このやり切れなさをどこにぶつけていいかが分からなかった。いっそ、存在しないという視線に付き合ってみようか。やめておこう、そうしていればいるだけ気持ちが塞いでいくことになる。

 今にも、大袈裟な雨が炸裂しそうだ。耐えられなさが、これ以上冷たくならないというところまで冷たくなった。下へ下へ(それで、地面に足がつく訳だが)、てんでばらばらになって流れていくよりほか、逃げ道はない。

 地面への到達を、しかし目を細めて穏やかに見つめている姿を仰ぎ見て、何か、歪んだ眠気のようなものを覚えた。

<317>「よぎる」

 激しい裸体が眼前を掠める。それでいて、志望はまだない。涙やら何やら通行不可能なものたちを一望し、曇りがかった空を裏切る。内緒の中にまた内緒を見、食らい、暴き、乾き切る。

 喉元を舐める視線は上下に動き、希望はまだない。疲れやら何やら見えないものを仰ぎ見ようとする姿勢に対して嫌悪は募りに募る。検討の上に検討を重ね、退き、挫かれ、膨大な笑みを渡る。

 逃れ去る景色の中に、ひとり佇んだのは、あの夜の重さを確かなものにさせる。それでいい、もうじき帰るだろうあの道なりの光、いちど霞んで、また再びの光輝。それだけに戻り・・・。

<316>「何もない」

 本当は何も感じていないのじゃないか。何も感じていないのに、何かを感じている振りをするのがマナーだろう?そういうことを感じると何だか疲れてしまうのだ。何だ、いつも疲れているな。精神的な疲れというのはあんまり気持ちが良くないから嫌だ。それで、だから世間話や噂話は苦手だ。多くの場合、それ自体に醜さが伴うというのもそうなのだが、やはり、そこにいると、私が何も感じていないということが露呈して、んん?という目で見つめられてしまうから辛いのだ。こういうことを感じるべき、というのと、実際に湧き起こってくる気持ちとの間には随分と大きな距離がある。そこを詰めろと言われても、そんなことは・・・。コメントなんてありませんよ、表向きだけだとしてもそれが許されない空間からは、早々に退散したい。