<268>「草と根と」

 草木と私と、ただ在るというだけのことで、どうしてここまで明暗が分かれるのか。それはひとえに、忙しないからだ。出不精な存在のどこが忙しないのか、いやいや、草木と比べれば違いは明らかだ。自分のポジションというものが定まったら、絶対に動かない(動けないでもいいのだが。それはどちらでも実は同じことだ)。太く太く根を張っていって、動かまいとする。その決心の差で明暗が分かれている。

 また、季節を守ることも。繁る時節には繁り、枯れる時節には枯れてしまうのだ(意思ではないのかもしれないが)。枯れる時節に繁ったり、繁る時節に枯れてみたり、一喜一憂が、日々の営みの中で細かく刻まれ過ぎるところで明暗が決まる。

 どこに根を張るのか。いや、実はそんな場所もなければ、そもそも張る根すら持っていないのだったら・・・。ふらふらあたふたするように動くのが自然なのか。自然な歩き方をしている人は、存外怯えているように見えるのかもしれない。