<92>「その姿勢は」

 一言も発せられない、疑ってみる運動が全部ポーズではないと私は言い切れるだろうか、普段正しいとか正しくないとかの領域で何事も考えてはいない、と思っているが、一見関係のなさそうに見える話でさえ、正しくないかもと思いながら言葉を発し続けることは困難なのではないか、「正しくない」「正しくないかもしれない」と、正しいという確信の下、語っているだけではないのだろうか、だから黙っているのか、何事を語ろうとも、語ることそれ自体に正しさの影が色濃く付き纏うのなら、語ること即ち傲慢なのではないか、では何故黙らない? 黙り続ける傲慢さよりもそれはいくらかマシなように思えるからだ。傲慢な方と、より傲慢な方、仕方なく前者を取っている、納得はしていない、良いことだとも思っていない、しかしより悪くなるよりはいくらか・・・それはただの希望的観測かもしれない、しかしそれも確かなところは分からない。