<76>「シュと食いもの」

 違う回路を築くといったようなそんな小器用なことではなく、ただ条件反射、発現の喜び、最後まで処理しろと言われたってそんなことには興味がなくて、うわあっという盛り上がり、そこの瞬間があれば最高なもんだから、他には何にもいらなくなった、そういう顔には生気もなければ死の影も見留められない。電車のガタゴトという沸騰に熱せられ、ともかくも出来あがる顔と顔。それが美にしろ醜にしろ、ちゃんとした完成品であることに変な感慨を覚え、社会の構成に関わる人々、その着地がいかにも見るに堪えるグラデーションを作っていて、一方で私はと言えば、僅か何十センチであろうその土台の上を、歩いて移動した距離の何倍をも動き回ろうかといった落ち着きのなさ、滞空時間の長さに(それは潜行でもよい)、隣の女性が気づかないのも無理はなかった。あれこれと捉えて、もう違う対象を追っている、いや、追っていたのは対象ではなかった。身体へ優先権を譲渡、もっとも、身体はもとから先んじていて、諸々そのままに身ではないものだが身を任す。どうだろうこれは、私がついためらってしまうもの、出来ないと思うものでも、そんなことは無視だ、動くのだから。こんな寒い中、もっと寒いところへ行って、目的はただ酒とカニにありつきたいだけだった。