どこへ行っても

 家というこの代物が、現在というものを一身に引き受けているような気がして、逃げる逃げるそこどこあそこへ。

 しかし、どこへ行っても、現在というものは前からそこにずっといたかのように、にゅるっと顔を出す。そんならこっち、ダメならこっちと、振り切ったところで、現在、現在、現在。

 「明日が来る」

という言葉に首を傾げ、不動の現在でぼんやりする。風景は変わり人は枯れ、朝と夜とが律儀に何遍も入れ替わる、が、それも外縁だろう。私ときたら、さっきから、いや、随分前から一歩も動いていないようだ。