精神的に辛いとき、家にも外にも居場所が無いと感じていたとき、自身を支えていたのは、
「私は美しい」
という妄想だった。何故この手の妄想が自身を支えることになると気づけたのか、やっている過程で後からだんだんと気づいてきたのか、それは今でもよく分かっていないのだが、この妄想に大いに救われた事だけは確かだ。
ただ、事実としては、私は別に美しくもなんともない。私の顔を見た人が、私のことを美しいと感じて恍惚の表情を浮かべることはまずないだろう。
しかし、あまり事実がどうであるかは関係ないのが不思議な所である。自身の中だけで、
「私は美しい」
と思ってさえいれば、外見の如何を問わず、それですーっと気持ちが楽になっていけるのだ。
そしてこれは、根拠のない自信ともまた違うのが面白かった。
「私は美しいのだから、もっとチヤホヤされるべきだ」
であるとか、
「こんなに美しいのに、チヤホヤされないのはおかしい」
といったような疑問はまるで持たなかった。日常生活における他人との関わりの中では、私は私の顔なりの待遇(顔なりの待遇というのがあるのかどうかはよく分からないが)を受けることに反発は感じなかったのだ。
ただただ、自身の世界の中でだけ、
「私は美しい」
ということにして、そこに浸っていれば、それだけで随分と苦しい状況から救われる思いがしたのだった。