小学生的なるものへの憧れ

 『○○は、学校が終わると一目散に家へと向かって駆け出し、玄関へカバンを投げ出したかと思うと、そのまま友達の待つ公園へと、勢いよくまた飛び出して行った』

 今こういった文面を見れば、

「これは小説上の誇張表現かな?」

という想像を巡らすことも出来るが、小学生当時の私は、そういったいじわるな想像を働かせることも知らず、紙面に現る同じ年頃の子どもの躍動に純粋な憧れを抱いていた。

 そして、そのときの私は、

「小学生男子的振舞い」

のお手本とも思えるこの挙動を、すぐさま真似してみたいという衝動にも駆られていた。言葉にすればおかしいが、自身がれっきとした小学生男子でありながら、

「小学生男子的なるもの」

に、妙な憧れを抱いたのだ。

 そこで、友達といつもの公園で遊ぶ計画を立て、家に帰り次第すぐに集合という条件を加え、終業のチャイムを聞いたらすぐさま学校を飛び出し、あっという間に家の玄関まで来ると、視界に飛び込んでくる廊下の先の親に向かって、

「遊びに行ってくる!」

と告げざま、カバンをそこへ放り出してみせた。

 完璧な模倣だった。これぞ小学生男子であるという思いにひとりで気ままに浸りきっていた。が、

「あら、そんなに急がなくても。少しくらいゆっくりしていったら?」

という親の一言に、酔いから引き戻された私はびきっと身体を硬直させた。

 おそらく親は、投じた言葉以上の意味をそこには含んでいなかったと思うが、私はそう冷静に判断することが出来ず、

「浅はかな演技を見破られた!」

という思いに取り憑かれ、嫌な汗をそこでじわりとかいた。きっと、模倣の即席具合に対する自信の無さが、過剰な見破られ意識を生んだのだろう。

 「ううん、すぐ行ってくる・・・」

あまりの居たたまれなさに、まさかその誘いどおりのそのそと家に上がって寛ぐ訳にもいかず、恥ずかしさを全面に湛えながら、心ここにあらずで公園へと向かった。

 その後、公園で遊んでいる間も、家に帰ってからの間も、

「小学生であるのに、小学生的演技をわざわざ行った」

という意識が私を掴まえて離さず、

「もう誰も私を見ないでくれ!」

と言わんばかりに、その日は顔を枕に突っ伏して眠りについた。