<265>「除け者」

 何の返答もない空間で、黙って立っていることが出来ない、ただ座っていることが。最初から既に除け者であることの証拠として、これ以上のものはないではないか。答えなんて誰も必要としていない空間で、ただひとり、ただ一種類だけがそれを探している。尤も、除け者にすすんでなったのか、除け者にされてしまったのか、それは分かったものではない。答えをついに見つけられなかったのだと、過ぎし人を嘲り、答えなんてないと悟った人を軽蔑し遠ざけ、自分だけは何かを見つけられる可能性の中に置いておく、そもそも成立していない可能性の中に。

 そんなことは知っているのだ。答えとかではないということを知り、その可能性が最初から成立していないことを知りながら、その中に身を置いているのだ。いきいきとするためにはどうしてもそこにいなければならない。尤も、いきいきとすることがどれだけ重要なのかは分からない。

<264>「ただただ」

 ただ在るということに対する恐怖や憎悪は相当なものになっている。私だって、最初から最期まで、ただ在るだけなんだ(中で何をやろうが)ということを意識して、怖ろしさを感じない訳はない。しかし、生き物なんだ、ただ在ることは他の何よりも自然なことではないか。自然であるというのは怖ろしい、だけではない、畏れ多いのだ。生きていることの神秘さは、ただ在るということに因る。

 何の花かは分からないが、暴力的な無邪気さによって踏みしめられたそれは、結局沈黙を守り続けた。いや、何も守ってはいない、ただ沈黙であっただけだ。踏みしめた後も長閑な空気が相変わらず流れていることに怖れを成した。

 これだけ確率の低いことが起きている、奇跡だと。これだけ確率の低いことが次々に実現されていったのは何故だろう、という疑問は、作為者の視点から出る。そうじゃない、ただ出現したのだ、ただ実現したのだ。そこには確率の低さも高さも関係がない。ただだから何でも可能だったのだ。そして、何かを可能にしたという意識すらないから・・・。

<263>「明日になる、夢はまだいない」

 どこを追う、分別のつかない風が、丁寧に音だけを通し、雨は表を叩いた。吸収された空想は影になり、影だけになり、今や追う人はいない。二層三層の拘り、意味もなく震動を伝え、見つかるものはと言えば、だらけた動き、虚ろな集中。徐々に、明るくなることに対する興味を失った。

 いつに鳴く、それでも起き上がり、遠くの工場の響きをすぐに模し、いまや、軽やかな羽根のことをも忘れ、根と一体になった枝の揺れが、申し訳程度の葉を落した。関係のあるものが、石みたように押し黙り、夕べの予感を裏切って過ぎた。明日になる、夢はまだいない。

<262>「月が進路を失う」

 難解も繰り返されて、今度会う日の峠が徒に、夕暮れの到来を遅らせる。汽車は冷静に、あくまでも冷静に、夢を見ない夜を順々に辿り尽くす。ああ、鈍い響きを引きずって、ひとり、ふたり・・・。この夜に、歩みが僅かばかり足されることは一体何であろう。帰宅の容易、音が鳴らないばかりに振り返る。記憶の堆積が、ぼんやりと道を霞ませ、誰かの足跡をそれとなく伝える役目、そこにもたらされたものは私と深くを繋がった。盲目的な明かりの強さ、その雲散霧消。どこへというあてもなく、月は進路を失った。

<261>「夢には似合わない」

 時々の説明は、理解のし難さだけを強化した。会場をスッと抜けていく姿を追いかけて、若者は足を速めたが、何も、逃れるというような有様ではなく、ただ家に帰るような足どりだったので、急ぐのをやめ、そのままついていった。途中、休憩なのか、公園のベンチに腰を下ろすと、老人はぼんやりと首を上げた。若者は挨拶し、隣に座る。いなくなるということはないのだよ、そんな言葉がひとつの逃避にしか聞こえなかった、尤もこの誤りを若者は後、老人の死に接して気がつくのだが、このときはまだどうしようもなかった。老妻は、浅い眠りの錯乱した夢には似つかわしくないのだよ、それはあなたも知っているでしょう。夢を見たのは若者だ、だからこうしてここに来たのだと確信していたが、若者はそんな夢を見ていない。こうしてただベンチに何の訳もなく座っていると、感じるべきものは何もないのだという気持ちに誘われていく。それだけのことだった。

<260>「日が過ぎる」

 批判の急先鋒たる夫人は、不思議な夢を見た。あるいはそれは夢ではなく、誰かが直接語りかけているようでもあったのだが、むろんそれでも夢に違いなかった。何か大変良い印象を抱き、それが誰に向けてなのかは分からず、夢の常で、何を言われたのやら、起きたときにはもう憶えていなかった。

 婦人連は、その日の午後のこと、批判夫人の勢いが大変和らいでいるのを訝しんだ。あんなに文句を言っていたなんてこと、とても信じられやしない、もうやめましょうとまで言った。皮肉なもので、婦人連の抱えている不満はこの変化によって一段と大きくなった。

 遅い起床を楽しんだ老人は、鳴りっぱなしのラジオを止めると、何かを取り戻したような気になった。ともあれ、この老人が婦人連の不興を買ったのにはこういう訳があった。

 仲睦まじく老妻と暮らしていた老人は、1と月程前、この老妻を病気で失った。葬儀には親戚から、婦人連などを含む近所の人たちまでもが集まったが、初めのうちは、ここにひとり残された可哀想な老人に、皆が皆慰めの言葉をかけていた。しかし、老人は泣いていもしなければ、妻を失った悲しみで呆然としていもしなかった。こう言ってよければ、葬儀の間中ずっとつまらなさそうにしていた。周りの人が何と声をかけようと、

「ああ、まあ、そういうこともあるのでしょうねえ・・・」

などと、何の響くところもないように、ただ面倒そうに話をするばかりだったので、婦人連は大いにこの老人に腹を立てることとなった(さすがに葬儀の場ではそんな素振りを慎んだが・・・)。あの人は自分の妻を何とも思っていなかったのじゃないか、心がない人なのじゃないか、いい人だと思っていて損をした・・・。婦人連がこういった結論に辿り着くのに時間はかからなかった。不興を買った老人は、それによって特に困るということもなかったのだが、特に婦人連を中心にして、周りの人が冷たくなったことを感じて、少し寂しいような笑いを口に含ませた。

<259>「顔のある店」

 店の前に立つと男は、顔をゆっくりと上下に動かし、小さな戸を引いた。いくつもの顔がこちらを見ている。喜怒哀楽はもちろんのこと、戸惑い、薄笑い、恥じ、癇癪などなど、種類は無数だ。

「どれにいたしましょう」

店の主人が、倦怠と憎悪の隙間から顔を覗かせた。

「ええ・・・」

男は、一切の感情を失った顔、と銘打たれた顔の前まで来た。これにすると言うと、

「大変申し上げにくいのですが、さほど変わらんと思います」

と主人。それでもいいのだと購入し、さて何をどうするのやらこの表情を、とにかくにも張り付けた。

 しばらく経ってのこと、もう会うこともないと思っていた友人に声をかけられたが、つまりは気づかれたのだった。

「なるほど、大して変わらないか・・・」

「そうだなあ。久し振りに会ったけど、変わらないなあ・・・」

共通の過去を呼び出して、それなりの時間何やらと話し、その後別れた。

 別れながら歩いて、

「おかしいなあ・・・」

と首を捻る友人。腹の底から笑っているような声だけ出して、さて顔がひとつも動かないのはどうしてだっただろうか。男は一方で、顔の動かないことには気がついていないのだった。顔は私ではない。尤も、それはいつに始まったことだか分からない。男は、自他も曖昧なうちからあの店を知っているような気がした。