本当のこと、と言おうとすれば、だからなんとなく宙ぶらりんになる。自分の好みに応じて任意の対象に、勝手に本当らしさを付与しているだけで、大体がその対象は他の人にとって、ただの対象でしかなかったりする。
一農家として生涯を過ごしてきた人と、一銀行員として生涯を過ごしてきた人とがお互いに、相手は、自分の積んできたような類の経験を積んできていない、その為に彼の人生というのは偽物だったのだ、と思い合っているとすれば、それは滑稽である。
本当の人生などという目標が、一番本当から遠いように思われる。そもそも無いからこそ、任意の対象に「本当」を投影したくなるのだろうが、さてその作業が虚しく思えてしまって放棄してしまい、本当らしさという幻想がすっかり霧散してしまった後、本当のような演技をするか、徹底して嘘そのものになるか。