身につかない

 歳を取ったせいか、いや、歳を取ったせいにしてはいけないのだろうか、時の経つにつれ、驚くほど何も分からなくなってきている。愚鈍としか言いようがない。

 長いこと、ただ生きてきただけで、蓄えられた、身についたと胸を張れる知識らしきものがまるで見当たらない。テレビで専門的な解説をする人、新聞記事に解説を寄せている人から、はては井戸端会議で声高に自説を唱うる人まで、目に映る人全てが超人に思えてくる。

 私はよほど馬鹿になったんじゃないだろうか。思えば、かつても私はそういう人たちと同じように、社会や、国家や、人類全体についての問題を考え、それに対する答を自信を持って添えていた。今となってはそんなことも遥か昔・・・というより、そんな大層なことを為し遂げていた私と、今の私との間には時間的空間的繋がりがまるでなく、それはどこか別の地帯にぽっかりと断絶して存在している過去であるというような印象を受ける。今、社会だ国家だと言われても、もうそれらをハッキリと捉えることは出来ず、発すべき言葉のひとつとして見つからないような有り様だ。

 

 「いやあ、素晴らしいですね!」

 「ん? ああ・・・」

目の前に腰掛ける学生の感心した態度から推察するに、またいつものようにボンヤリしながら、問われるままに本から得た受け売りの知識を適当に諳んじていたのだろう。学生の発する歯の浮くような賛辞が口腔を通過し、耳の裏を這うようにしてゾワゾワと撫でた。

 学生はあろうことかメモ帳などを取りだし、先生に倣って学問を進めたいから、何という本で学んできたのかを隈なく教えてほしいとまで言いだした。全ての知識が文字の組み合わせにしか思えず、決して身につくことはないまま通過しているだけだと感じて落胆しているときに、こいつは私を馬鹿にしているのではないかと訝ったが、どうもそういう様子ではない。とすれば、私がただの文字情報を諳んじたのを見ただけで本当に感心しているのだ。それはそれでと、心底この学生のことを憐れに思いながら、

「いや、何も、メモするには及ばない」

と言って書棚へと向かい、『通史』と題された本をそこから抜き取ると、戻ってきてそれをそのまま学生に渡し、

「私と同じように学びたいならこれを読めばいい。ちょうど良い、これはもう必要ないからあなたにあげます」

と言いながら、再び学生の目の前の椅子へと腰掛けた。

 「・・・これだけですか?」

期待していたものと違うという顔をされたのが心底不思議だった。他からも勿論情報は得ているのだろうが、私の頭にある虚しい文字情報の根本はほぼこの本によって形成されているのだから、不足はないはずだ。

 学生はなおも粘った。こんな、誰しもが1度は目を通している本ではなくて、もっと先生の根幹を成すような、先生の身にびったりとくっついて離れないというようなものはないのですか、と。学生がそこまで気づいていたとは思われないが、暗に示される、

「文字情報が身についていない」

という指摘にハッとし、またもや、本当に身についたものなど何ひとつ無いのだというところへ引き戻されていた。しばらく黙りこんだ後、苦し紛れに、しかしごく当たり前のことだというような手つきで髪の毛を1本抜き取り、目の前の学生に差し出していた。

 学生は少し戸惑ったのもつかの間、馬鹿にしないでくださいと言いながら、怒って出て行ってしまった。

 

 それから幾日か経ってのこと、ある他の学生から、この前の件であの学生が先生のことをとやかく言っていましたよ、という話を聞かされた。私は真面目に先生と話をしているのに、先生は終始ボーっとしていて、ふざけていたと。ボーっとしていたのは本当だとして、あれがふざけた上での態度だったのならどんなにか良かったであろうと思う。慰みに読んでいた小説の、冒頭部分を幾度も幾度も繰り返した。