高所恐怖症であることや、心配性であることも手伝ってか、何よりジェットコースターが大の苦手なんです。あんなもの、タチの悪い臨死体験じゃないか、と思っている節があるのですが、反対に、好きな人はとことん好きですね。ああいう、心臓がヒヤッとする類のものに対する欲望と言いますか、渇望というものは、どうもだんだんエスカレートしていくように思います。
というのも、私なぞにとっては、遊園地にあるお子様用のジェットコースターで既に充分すぎるくらいなのですが、好きな人はそれぐらいのものでは勿論満足せずに、物凄いスピードが出るものや、物凄い高さから急降下していくようなものに乗ってみたりと、その好奇心が恐怖心に支配されることは無いかのように、どんどんと、より怖いもの、スリルのあるものを求めているように見えるからです。おそらく一度味わったレベルの怖さにはすぐに慣れてしまうのでしょう。
そして中には、ジェットコースターの恐怖感に慣れた為、物足りなくなってしまったので、今度はスカイダイビングを試みてみたり、それも物足りなくなった果てには、命の危険を顧みないようなアトラクションにまで進んでいく人々もいることでしょう。
しかし勿論、スリルを楽しんでいるうちは良いのですが、恐怖感に慣れ、だんだんと並のスリルでは満足できなくなり、ついには命を顧みないところまで発展していくのは、少々考えものだと思います。欲望というのは、慣れるとすぐにそれ以上を求めだしてキリが無くなるものですから、本当に命を落とすか落とさないかというスリルを欲しがるところまで欲望が拡大していく前に、このまま欲望が拡大すると危ないと気づいて引き返したいところです。
また、何も、欲望にキリがなく、慣れるとどんどんそれ以上を求めたくなるという性質は、こういった過度なスリルを求める人にだけ備わるものではなく、誰しもに備わる性質ですから(物欲や性欲などの普遍的な欲求も、容易に肥大化していきます)、過度なスリルを求める人たちが、特別自制の効かない人達であるということでもないと思います。自らも、欲望が拡大しすぎる事に対しては気をつけなくてはなりません。
こういった、欲望の「際限なく拡大していく性質」について、仏教は危機感をもっていたからこそ、
「煩悩を断ちなさい」
ということを、おそらく言ったのだろうと思います。
しかし、実際に人間が欲望を断てるかというと、それは無理なんじゃないか?というように思っています。というのも欲望は、意思であるとか、自発的な考えを越えた生理的なものだと思っているので、欲望を意思の力でコントロールすることは出来ても、湧いてくること自体を断つ、根源的に断つということは、人間の能力の範囲外だと思うからです。
では、コントロールが出来るほどの欲望なら構わないけれども、先の、過度なスリルを求めるような、コントロールできないところまできた欲望はどう処理すればいいのか。私は、欲望を断てない以上、欲望を、
「他へずらす」
しかないのではないかと考えています。世で言われているところの「昇華」に当たるかもしれません。
どの方向へずらしていけば良いのかというのは、それは各々の人の趣味嗜好によると思いますが、
「この方向で欲望が拡大し続けたら、待つのは死のみだよ」
というところまで進んでしまった欲望を、なんとか自分の頭の中で騙くらかして、徐々に徐々に他の方向へずらす以外、対処のしようがないと思います。