<4432>「所感(592)」

 前に、恋愛を完全に降ろすって話を書いたんだけど。

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 結局何が無理だったかといえば1つ目はもう圧倒的に「居たくない」ってことで。

 

 これは私の人生に付きまとう1番デカいテーマなので当然そうだった。

 

 相手がどんなにかわいくてもタイプでも、そもそもずっと一緒に居たくないってのが強くあって、これは治らなかった。

 

 んで、2つ目は、人を品定めする空間、空気が病的に嫌い、生理的に気持ち悪いってことだった。

 

 これも克服しようとして、ついに無理だったこと。

 

 合コンとかはだから当然行ったことないんだけど、合コンに行かなくても。

 

 ねえねえ、あの人どう、あの人アリ?みたいな、日常レベルで起きる品定めの会話も、本当に我慢できないぐらいグロテスクに感じて気持ち悪くて。

 

 そこの対象に自分が入ってるとそれはなおさらだった。

 

 そんな品定めしてくる人とその後一緒に居たいと思うはずがないというか。

 

 でも、こういう会話っておそらく楽しいからってんで世間の人は普通にしてますよね。

 

 それがどういうことを意味するかというと、品定めの会話とか空気感に全く加わらない私のような人間は、そういう人たちから見た場合、おそらく同じように相当に気持ち悪く見えているということです。

 

 これはどっちが良いとか悪いとかではなくお互いさまのことで。

 

 どっちからも気持ち悪く見えるくらいに、各々の世界が断絶しているってことです。

 

 これも前に書いたんだけど。

 

 住んでる世界観が違うってのはもう、絶望的な断絶なんだということで。

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 私も若いときはコミュニケーション頑張ろうみたいな姿勢で、細かく喋ったりしてたんだけど。

 

 もう最近は、人間と人間の断絶の深さは想像を絶するということばかりを考えるようになっている。

 

 180°考え方が変わっている。

 

 だから、想像を絶する断絶を抱えた人間がともに生きていくためには、熱くコミュニケーションするとかじゃなくて、もっと柔らかく無視するとか、断絶したままにしておくとかの、智慧の方が全然大事なんだよねと思うようになっている。

 

 身振り手振りを交えて一杯喋ってコミュニケーションを頑張る国の人たちが、率先して戦争をして殺し合いをしている。

 

 人間と人間の断絶は、相手が何かを裏切った訳でもないのに最初から既に相当深く。

 

 コミュニケーションが芯からは通じない場面が多々あるということに、もっと深く自覚的になるべきじゃないかということをよく思うこの頃。

 

 私とあんたとでは、仲良く喋れやしないよってことは本当に、無数にある。

 

 それでも人間は同じ地面の上でなんとか一緒に生きていけるはずだ。

 

 大事なのはコミュニケーションではなくて、それをしなくてもちゃんと一緒に生きていける智慧の方なんじゃないか。

 

 恋愛の話からこんなところまで来てしまった。