<4429>「所感(591)」

 1ヶ月とか1年をおっきい1日として見る。

 

 死んだとき後悔するよ。

 

 今日という日はもう二度と来ないんだよ。

 

 やりたいことやらなきゃ。

 

 確かにそれは本当にその通りなのだが。

 

 一方で、正直もう、やりたいことはほとんどやっちゃったところがあり。

 

 また、今やりたいことは既に継続してやれているってところもあり、難しい。

 

 明日死ぬとしても、同じ1日を変わらず送るかもしれない。

 

 それに、後悔のないように、本当に1日でじゃあやりきろうよ、となるとやりすぎで破綻する。

 

 それよりも、もっと、1ヶ月とか1年をおっきい1日として見立てた方が、余裕持って色々なこと積み重ねられるので。

 

 燃焼するのは大事だけど、燃焼しても残念ながら明日は来るので。

 

 もっと長期の視点で、死んだあとも私の表現活動、鍛錬は続くぐらいのバカでかい視野で生きる。

 

 

 勉強。

 

 1日でいっぱいやらなきゃを解除する。

 

 1ヶ月とか1年とかのまとまりで継続的にやってる方が、遥かに遠くに着くので。

 

 1日にいっぱい詰め込むことで偽の満足を作らないようにする。

 

 1周目に分からなきゃだめを解除する。

 

 よく知らない状態、段階なのに、間違えてあちゃーとなってるのは、ちょっと完璧主義がすぎる。

 

 1回とかで分かってなくちゃいけないという意識、これは幻想も幻想なので。

 

 そういう幻想意識は要らないし、勉強はやればやるだけ分かってくるものなので、もうその幻想は若いときほど強くなく、自分の中心には居ないけど、名残はまだ微かにあるので、その名残をどんどん排除する。

 

 しつこくしつこく排除する。

 

 何度もその幻想の修正に手を入れる。

 

 1周目で出来るとか1回目でとかは、全く意味のない、要らない発想。

 

 

 自分が撒いたものって、自分の把握できるスケール感よりももっと大きなスケール感で育っている。

 

 だからしょっちゅう確認してダメにするんじゃなくて、やることをやっといて後はその大きなスケール感に全て委ねること。

 

 意識で把握しようとしたって、成長、育ちって、そんな意識で把握できる広さの範囲で動いてないので。

 

 もっと大きなスケールでちゃんと動いていることを信頼すること。