<4401>「所感(578)~人生の歩き方~」

 苦しむ私をよそに書きたいことは増えている。

 

 どう生きたらいいか分からなくなったって、前に書いた。

 

 本音を聴かせてって言われるんだけど、本音は、

 

 「存在したくない」

 

 「居たくない」

 

 「やりたいことは何にもない」

 

 「今目の前にいるあなたに何も興味がない」

 

 だから、どう伝えたらいいのか分からなくていつも困るってことを、前に書いた。

 

 

 私は正直に言えば、キャリアも、人生の目的も、何にも分からない人間だ。

 

 根が、存在していたくない、居たくないだから、人生の歩き方が全く分からないんだと思う。

 

 こんなことすると勿体ないとか、あなたのキャリアに傷がとかの話を、全く脳内で掴むことができない。

 

 段々積み重なっていくことに対して、何も思えないからだ。

 

 

 毎日詩を書いている。

 

 谷川さんや吉本さんが言うように、詩とは、

 

 「書くことが何もないということの表明」

 

 であり、無の表現である。

 

 こういうものの積み重ねが可能かつ私にとっての命綱となるのは、私という存在、人生そのものが無だと感じている人間にとって、空間は無の表現で埋めていくのが自然だし、必要なことだからなのだ。

 

 それ以外の歩き方は分からない。

 

 

 私は高校3年の前半ぐらいまで、ずっと自分は勉強が嫌いなんだと思い込んでいたんだけど、嫌いなのは勉強ではなくて学校だったということに受験勉強を始めるタイミングで気がついた。

 

 気がついてからは面白くて受験勉強にのめり込んだ。

 

 面白くてのめり込んでいる人間が、キャリアを考えて勉強している人間より良い結果に恵まれることはある意味当然ではある。

 

 だが、それが私にとってプラスの意味をもたらすかといえば、別にそうとも言えない。

 

 社会の歩き方とかキャリア構築とかは別に分からないままだからだ。

 

 

 歩き方が分からないとき、とりあえず資格みたいなものを、仕事の内容に合わせて段々と組み立てていく、みたいな動きは、歩き方の分からない人間にとってのガイドみたいな役割を果たす。

 

 しかし、それらも結局、歩き方が分からないという問題を根本から捉えている訳ではないので、何度も何度も途中で意味を失う。

 

 時にはその組み立てた部品ごと、まるごと捨てたりする。

 

 迷子になる。

 

 私はまた放り出される。

 

 人生が、歩いていくことだとしたら、そも歩いていきたくないのだから、迷子になるのは当然だ。

 

 自分は生まれから悲しく、存在していること自体が苦痛で、様々の小手先のテクニックやガイドの効用もここにきて切れ、完全に追い込まれているということを、認めながら行くしかない。

 

 存在しない人間の歩き方を、どこまでもやってみるしかない。