<4399>「所感(577)」

 諸々無理が効かなくなっていて。

 

 崩壊、というか、虚飾の剥がれを書くことが最近多いんだけど。

 

 何に、

 

 「もういいよ」

 

 とか、

 

 「うるさいよ」

 

 って感じるようになってるかな、ってのをちょっとまとめて。

 

 小説とか評論とか、もううるさくなってきてるんだけど。

 

 ちょっと見る角度を変えてみるとか、物事の捉え方を変えてみるとか、そんなことから得られる新奇性とか興奮も、ある閾値を超えるともう自分のなかで飽和してしまっていて、何にも感じなくなっている。

 

 また、見方を変える提案、違う発想、角度の創造かよ、もういいよ、となる。

 

 「私が今生きているということ」から来る重力の厳しさみたいなものから本質的に逃れる方法はなくて、上記ハックみたいなものって全部小手先でしかない。

 

 小手先のもの、小手先感にもうだいぶ疲れてしまっている。

 

 

 世の中に、そんな力み返って挑むようなものは何もないと分かってしまうことによる脱力。

 

 達成が意味ないのではなくて、達成したところで、

 

 「当たり前の、なんのきない明日」

 

 から逃れる必殺の技法は手に入らないということ、それが身に沁みてどっと疲れてしまっている。

 

 

 キラキラとして生きることは良いことではあるかもしれないが、やたらにキラキラと発光していても、嫌なものは嫌だし、つまらないものはつまらない。

 

 元気がないのを自分でヤだなと思って頑張ってキラキラさせることほど疲れることはない。

 

 

 もう、テクニックとか、ハックとか、ちょっと見方を変えてみるだけでとか、そういう小手先のものが全てどうでもよくなっているんだよな。

 

 それに頼ってきたからこその疲れが全部出てる。

 

 「今生きていること」の重力に押し潰されて、訳も分からない時間に全部に敗北してやたらに惰眠をむさぼったりしている。

 

 ダラダラしてることが、皮肉にも20代前半くらいの心的態度に接近することになっていて、意図せず若返っている。

 

 こんなにキラキラしていない若返りもないだろうが。

 

 

 勉強も、淡々と進むけど、もうほとんど何も期待していない。

 

 

 惰眠をむさぼっていたらえらくエッチな夢を見て。

 

 綺麗な女の人に四方八方囲まれて、股間をまさぐると中がびしょびしょになっていて女の人も相当気持ちが良さそうにしている夢だったが、特に何も思わなかった。

 

 私もあなたも性器を持っているという以上の意味をそこに感じなかった。