<4385>「所感(569)」

 徹底的に居たくない人間が、今、おそらく旅の最終地点で、

 

「あくまでも居ること/居なければならないこと」

 

 を仕事にしている。

 

 なんという運命の皮肉だろうか。

 

 居たくないを突き詰めていたら、こんな場所に着いていた。

 

 居ることが強く要請される場所で、あくまでも居続けるためには、自分の嘘を限りなく減らしていかなければならない。

 

 かと言って露悪に走るのではなく、ただ、虚飾を剥ぐ。

 

 

 ただ、その場一回限りを凌ぐだけなら、大いにはしゃいでピエロをやればいい。

 

 ある短期間だけそこに居るつもりならば、コミュニケーションが好きで、誰とも交わせる話題があって、楽しくて、愉快で、という人格をやればいい。

 

 しかし私の実相は、核は、

 

 「人に話したいことも特になく、雑談も別に好きではなく、人とただ集まっているのも別に好きではない」

 

 というものになるのだから、前述したようにそれを露悪的に表す必要はないが、できるだけ実相に寄せた在り方を普段からすべきである。

 

 それにより、もしかしたら、というか確実に人物評価は下がるかもしれない。

 

 なんだコイツ、付き合いづらいと思われて嫌われるかも知らない。

 

 でも、それでいい。

 

 何故なら、私の目的は、職場で人気者になることではなく、あくまでも居ること、居続けることだから。

 

 もういいんだ、社交術も、コミュニケーションのテクニックも。

 

 そりゃ、それらによって上手くはなった。

 

 何にも勉強しないよりは、社会的にマシな人間になったかもしれない。

 

 でも、それじゃあ、長く居られないから。

 

 フットワークが軽いように見せかけて、ただ逃げるように旅をする羽目になるだけだから。

 

 もう、いいんだ、そういうテクニック。

 

 要らない。

 

 

 本当は話したくもなく、付き合いたくもなく、ライフワークの方が大事で、表現の方が大事で、労働なんか、ただ労働として経過できればそれでよく、これをやったら上に行けるよとか言われても、うるせえとしか思わない人間であることに、嘘をつかないこと。

 

 まあ何回も言うように、それをわざわざアピールする必要もないし、露悪的に実相を打ち出してわざと嫌われに行く必要もない。

 

 ここらへんは経験というか、上手い塩梅が必要。

 

 無理に喋んない。

 

 無理に微笑まないとか、そういうとこから。