<4383>「所感(568)」

 私はおそらく、良い読書家ではない。

 

 真面目な読書家でもない。

 

 もうそんなに本は読まないんだが。

 

 よく読んでいた頃も。

 

 そこに書かれていること。

 

 作者の真意をよく汲み取ろう。

 

 作者の物語世界をよく味わおうとしていたんでなく。

 

 自らの創作のための、言葉の材料を集めていただけだ。

 

 貼り絵をするのに、チラシなどのゴミになるものを利用するように。

 

 本を開くことで材料収集をしていたんだ。

 

 そういう気がする。

 

 自分の宇宙に、宇宙ゴミを溜める作業。

 

 華厳経に関する読書とか、まさにそれの最たるものだったような気がする。

 

 その経世界をちゃんと理解したいというよりは。

 

 日常語と距離のある言葉の並びを、ストックしておきたいというような欲求。

 

 そうするとあたしはやくざな本読みだった。

 

 そういうことが分かり出す。

 

 その真意を掴みたいというより。

 

 宇宙ゴミは宇宙ゴミでも、そのなかで何か光る優秀なゴミを探したいということだったのだ。

 

 

 女の人、特に若い女の人に感じてた決まりの悪さってなんだ、ということを考えてきて。

 

 ちょっと、というかだいぶ分かった。

 

 相手に対して、エロさは無限に感じるけど、まったくメロさを感じていないことからそれは来ていた。 

 

 大きな気づき。

 

 

 何かすごい興奮するけど、相手に何の興味も持てないし、話したいこともないし、俺はこの人が欲しいのか欲しくないのかどっちなんだ、みたいなもののあいだでずっと葛藤があったんだけど。

 

 分かんねえよっていう決まりの悪さ、苛立ちがね。

 

 エロをいくらか得たり。

 

 本当にメロいと自分が感じてしまう人に出会ったりすると、分かる。

 

 どっちか分かんなくて苛立つときは、大概目の前の人にエロさを感じているだけで、それは好きとか話したいとは何にも関係がないってことを。

 

 エロさは圧倒的な力だけど、あくまでもそれはエロいという領域を出ることがないってことが、世の中にはいっぱいある。

 

 メロい人に会えて、自分が、見返りがどうとかそんなのどうでもよく、ぐでんぐでんになれることが分かると、エロとかは依然力を持ちながらも、大分後景に退く。

 

 エロもメロさの前では無力なんだということが分かると、落ち着く。

 

 女の人に対する決まりの悪さも、ほとんど消え失せる。