<4381>「所感(567)」

 

 

 時期にもよるんだろうが。

 

 出掛けるってことが、楽しみじゃなく、自己の無視として機能しているときがある。

 

 自分と向き合わないために、出掛けていくというか。

 

 そういうときは、どんだけ遠くまで行こうが、どこを歩いていようが、しんどい。

 

 掃除とか、眼を背けている内部に眼を向けるのが、一番疲れが取れる。

 

 

 悲劇だとか、そういうことより以前に、自分を無視するって感じ、なんだろうね、不思議。

 

 ゴミ屋敷とかもそうなんだけど。

 

 それに関するロジックをでっちあげるんじゃなくて、人間が何をしているのかを正確に把握したい。

 

 無視していじめているというよりは、何か、自分は自分を上手く掴み損ねる、というか。

 

 盲点になってて、見ようとしても上手く見ることができないって方が近い感覚があるんだよね。

 

 居たくないってことも、多分に移動にかかわるよね。

 

 居城というか。

 

 溜まるということ、根を張るということに対する苦手意識。

 

 嫌悪があるのかもしれない。

 

 そこに根を生やすために綺麗にするというよりは。

 

 どこに移動しようが、今居る場所を綺麗にするという意識で掃除する。

 

 

 私は現在時、家をすごく綺麗に保っているというよりは。

 

 断捨離によって、別れること、取捨選択の判断をつける筋肉を鍛えてきたので、物をどんどん要らなくなったら捨てていて。

 

 そのことによって家は割とスッキリしているという感じ。

 

 ただ本当にピカピカにしている人からしてみればちょっと汚いってぐらいの位置かな、と思う。

 

 

 最近の断捨離の気づき。

 

 物を溜めていて、どうにかしようと思っているとき、過去との訣別ってことにどうしても注意が多く集まると思うんだけど。

 

 整理していて思ったのは、今本気で取り組むつもりもない、

 

 「未来を先取りしすぎたもの」もそれなりに家のなかにあるな、ということで。

 

 直近ですぐ使うならもちろん置いていて良いんだけど。

 

 本当にその未来ありますか、確定してますかって疑問符がつくものは、先取りしすぎているので、ちょっとノイズだな、という感じになった。

 

 それらを捨て出すと、また一段とスッキリしてきたかな、というところで。現在地。