<4378>「所感(565)」

 老後まとまった時間ができたら、あれをやろう、これをやろう。

 

 →私の場合、それはない、永遠に来ないって分かった。

 

 週末とかの、例えば三連休とか、ちょっとまとまった休みができたときとかに自分を観察すれば、それはすぐに分かる。

 

 毎日決まったことを決まったようにしているだけ。

 

 それが休みの日だろうが仕事の日だろうが。

 

 また、老後という観念自体がない。

 

 だから例えば、年取って労働から弾かれて、自由の身になっても。

 

 毎日作業し続けて、死ぬ日も最期まで作業をしていたい。

 

 路上に放り出されようが、刑務所に居ようがどこに居ようが。

 

 手が動く間は、ペンを置かない。

 

 

 過去の未練をどんだけ保存してようが、やるものはやるし、やらないものは一生やらないので。

 

 老後のまとまった時間問題と同じだけど、今やる気がないものとはどんどん別れる。処分する。

 

 私には今しかない。

 

 時間がまとまって取れたらやり出すこと/ものなんてない。

 

 やりたいことならもう既にやってる。

 

 今この現在時に、どんどんやりたいこと表現したいことが次から次へと溢れ出てくるので、自分のなかで過去になっており、もう褪せてしまったものを、今更まとめたりはしないので。

 

 どんどん捨てていい。

 

 物事、出来事、興味関心、それらには全て旬がある。

 

 それらが移っていくことをおそれないこと。

 

 ちゃんと別れの挨拶ができればそれでいい。

 

 自分にとってそれは今も本当にアクティブですか?

 

 アクティブに見せかけた、未練なんじゃないですか?

 

 もう触んないですよね?

 

 というのを確認し続ける癖をつける。

 

 そうすると、最初はしんどくても、段々その筋肉がついてくる。

 

 決断や、見切りが早く、正確になってくる。

 

 嘘をつかない練習。

 

 見栄を張らない練習。